Senobi

RWとWWとIBとP4C

概念ベース授業づくりワークショップ

授業づくりワークショップ

先日、5回目の概念ベース授業づくり研究会を開催しました。(隔月開催)

参加者が数人でも、細々と続けていこうと当初は考えていましたが、

毎回、10人くらいの参加者があり、熱い話し合いが行われています。ありがたいことです。

 

さて、今回は夏休み企画ということで、

概念ベースの授業づくりワークショップを行いました。

初の試みです。

 

『理解をもたらす―』や、IBのガイドブックのアプローチを参考にし、

そして今読んでいる最中の『Concept-Based Curriculum and Instruction』の内容を早速取り入れながらやってみました。

Concept-Based Curriculum and Instruction for the Thinking Classroom (Corwin Teaching Essentials)

Concept-Based Curriculum and Instruction for the Thinking Classroom (Corwin Teaching Essentials)

 

 

ワークショップの手順

ワークショップの手順は以下の通りです。

 

①単元の大枠、扱いたいトピックを選ぶ

小説を読む、古典の学習をする、など(「走れメロス」を読む、など教材ベースも今回はありにしました)

 

②リストから概念を選ぶ

『Concept-Based-』には概念の例が挙げられていて、今回はその中から選びました。

対立  信念/価値  相互依存  自由  アイデンティティー  関係性  変化  視点(ものの見方)  権力  システム  構造/機能  デザイン  ヒーロー  強さ  つり合い  複雑さ  パラドックス  相互作用  転移  パターン  起源  革命  影響  バランス  核心  才能  有益  創造性 

(『Concept-Based Curriculum and Instruction』p.13のリストをもとに作成)

 

③選んだ概念を通してみたときに、どのような単元になりそうか考える

 

④別の概念を選ぶ

 

⑤概念を変えると、単元はどのように変わるか、考える

 

⑥2つを比べてみて、面白い方(生徒にとって良い単元になりそうな方)を選ぶ

 

⑦探究テーマ、探究の問い、を考える

「探究テーマ」とは、その単元を通して生徒が(概念的に)理解すること。

『理解をもたらす―』でいうゴールにあたります。

「探究の問い」については、以前のエントリーを参照してください。

 

senobi.hateblo.jp

 

⑧評価方法を考える

 

⑨学習活動を計画する

 

⑩教材を選ぶ

 

と、このような順番でワークシートに記入していきます。(30分程度)

この順番は「逆向き設計」を意図したものです。

 

だいたいの人が書けたら、シートを共有し、発表し合いました。

 

ふりかえり

今回試してみて、いろいろと課題はありましたが、可能性を感じました。

 

良かったこと

短い時間でたくさんの授業案が集まる!

今回は12人の参加で、それぞれ個人で取り組んだため、1時間程度のワークショップで、12本の単元アイデアが集まりました。

すぐに共有することで、他の人のアイデアを次に生かすこともできます。

 

逆向き設計が実践できる!

ワークシートを使って手順をふむことで、全員が「逆向き設計」を実行することが可能です。最初は窮屈さを感じると思いますが、そのうち慣れるのではないでしょうか。

 

改善ポイント

チームでやった方が楽しい

今回は2学期の単元設計を想定したため、個人戦にしてしまいましたが、チームでやった方がいろいろ刺激があって楽しそうです。

評価方法、使える教材アイデアなどにしても、チームの方が発想は広がるでしょう。

参加者の方から、「概念ベースだったとしても、結局やりやすい概念を選んでしまう」という発言があり、確かに、と思いました。

このあたり、検討する必要がありそうです。

 

ゲーム性をもたせる

共通の教材でやる、概念をくじで選ぶ、などゲーム性をもっともたせても良いのではないか、という意見も出ました。

ラクイチ授業プラン」シリーズをやっている身としては大賛成!

もっと楽しいワークショップになりそうです。

 

こういうワークショップを、普段の教科会でどんどんやっていきたいと思いました。

教科全体の指導力が確実にアップすると思います。

このような取り組みが自然にできるようなチームワークづくりが求められてきますね。

 

『理解をもたらすカリキュラム設計』とIBの単元づくりを比較する(4)

本質的な問い

「逆向き設計」では、「重大な観念」が大切なのですが、それを直接的に生徒に提示しても伝わらない、という話でした。

 

そこで登場するのが「本質的な問い」です。

最良の問いは、重大な観念を指し示し強調するものである。それらは、内容の中に存在してはいても、おそらくはまだ見られていないようなカギとなる概念、テーマ、理論、問題について、学習者が調査する時に通る門戸として役立つ。(p.129)

 

これまでの授業を振り返ってみると、発問の傾向がずいぶん偏っていたことに気づかされます。

ほとんどが、知識を問うような問い、教科書教材の内容に関する問いでした。

ここで使われている表現技法は何ですか。

(文章の一部を指して)これはどういうことですか、

この動詞の活用の種類は何ですか、

など、答えが一つになるような問いです。

ちなみに、このような問いは本書では「先導する問い(leading question)」と呼ばれています。知識について、教えたり、評価したりするための問いで、明確な答えがある問いです。

 

抽象度の高い問いとしては、

この文章のテーマは何か、筆者はどのようなことを言おうとしているか、

などでしょうか。

これでも教材ベースであることには変わりありません。

 

もちろん、生徒が教材の内容を正確に理解するためのプロセスは必須ですが、

単元がそれだけで終わるようではいけない、

生徒が「重大な観念」を理解するように促さなくてはならない、そういうことでした。

 

『理解をもたらす―』では、「本質的な問い」の特徴として、4つ挙げられています。

1.私たちの人生を通して何度も起こる重要な問いである

2.学問における核となる観念と探究を指している

3.生徒に重要だが複雑な観念、知識、ノウハウを効果的に探究し意味を捉えるのを助ける

4.特定の、かつ多様な学習者を最もよく参加させる

 

一つの単元で終わってしまうのではなく、教科を超えて、学年を超えて(または卒業してからも)何度も出会うような問いを立てるべきだと言っています。

個人的には4つ目の、「多様な学習者を最もよく参加させる」という表現が気に入りました。

よく授業では、クラス内のどのレベルに焦点を当てるか、ということが問題になりますが、問いの抽象度を高め、範囲を広くすることで、いろんなレベルの生徒が、自分なりに取り組める可能性が出てきます。

 

「本質的」かどうかチェック

 単元で扱いたい問いが「本質的」かどうか、これは「どの程度、この問いは、[次のことを]しようてしているのか?」をチェックすることで分かる、と説明されています。

(この、質をチェックするための問いを事前に用意しておく、というアプローチはいかにも海外だなぁ、という気がします)

1.重大な観念と核となる内容について、正真正銘のレリバンスのある探究を引き起こす。

2.深い思考、活発な話し合い、持続する探究、新しい理解、そしてまたより多くの問いを生じさせる。

3.代替案を熟考すること、証拠を比較考量すること、自分の考えを裏づけること、および答えを正当化することを生徒に求める。

4.重大な観念、想定、先行する授業について、活発で継続的な再考を促す。

5.先行する学習と個人的な経験との、意義深い関連付けを引き起こす。

6.自然と繰り返し起こり、他の状況や教科へ転移する機会を生み出す。(p.132)

 

IBでは3種類の「探究の問い」

一方、IBのカリキュラムでは、単元で用いる問いを3種類に分け、バランスよく取り入れるように推奨されています。

それぞれ、事実的問い、概念的問い、議論的問い、といいます。

古典の授業を想定して、3種類の問いを見ていきましょう。

 

「事実的問い」

答えが一つに決まるような問いです。『理解をもたらす―』でいう「先導する問い」と同じでしょうか。

例)平安時代の恋愛作法はどのようなものか。

  男女のコミュニケーションは「竹取物語」の中でどのように描かれているか。

 

「概念的問い」

単元の中で鍵カギとなる概念について探究するための問いです。『理解をもたらす―』で言えば「重大な観念」にアプローチするための問い、ということになるでしょう。

ここでは「コミュニケーション」という概念をカギにしています。

例)時代によってコミュニケーションの方法はどう変化したか。

  コミュニケーションの方法に普遍性はあるか。

 

「議論的問い」

意見が分かれ、話し合いにつながるような問いです。トピックに対する問いでも、概念的な問いでも両方できます。

例)平安時代の女性の生き方は幸せと言えるか。

  男女のコミュニケーションは今後どのように変化していくか。

 

 

このように、様々な階層の問いを計画段階から準備し、生徒の探究や概念的理解を促そうというのです。

 

両者を比べてみると

問いに関しては、『理解をもたらす―』で述べられている内容と、IBの単元づくりには共通性があります。

どちらも、抽象的な(概念的な)問いを重視している、ということです。

 

国語の授業においては、まだまだ教材内容の理解や知識の網羅が授業のねらいになりがちで、授業中の発問もそれに即したものになっています。

 

それによる弊害は、本書では次のように述べられています。

内容を網羅しなくてはならないのだと主張する教師たちが、真に知的な問いには単に口先だけの同意を示すだけで、絶え間なく先延ばしにし続けるとすれば、ひどい代価を支払っていることになる。先導する問いが限りなく続くことで、ほとんどの生徒の問いは次のようないくつかの馴染みのあるものへと縮減されてしまうだろう。すなわち、「これはテストに出るのか?」「これが、あなたの求めていることなのか?」「このレポートはどれぐらいの長さでないといけないのか?」である。(p.148)

いやー、耳が痛いですね。

 

IBの単元づくりをいきなり実行することはハードルが高いでしょうし、

「逆向き設計」のための準備にも時間がかかります。

その時点で、興味がわかなかったり、嫌になってしまう人もいるかも…。

 

ただ、今回取り上げたように、問いの抽象度を上げるアプローチだけであれば、それほどできなくはないと思うのです。

 

IBの用語で言えば、「事実的問い」だけで単元を組むのではなく、どこかで「概念的問い」や「議論的問い」を生徒に投げかけ、学習活動につなげる。

『理解をもたらす―』の言い方であれば、「先導する問い」だけで終わるのではなく、「本質的な問い」を入れていく。

まずはこれを試すだけでも、生徒の反応は変わるでしょうし、単元づくりの幅が広がるのではないかと思います。

 

 

 

『理解をもたらすカリキュラム設計』とIBの単元づくりを比較する(4)

本質的な問い

「逆向き設計」では、「重大な観念」が大切なのですが、それを直接的に生徒に提示しても伝わらない、という話でした。

 

そこで登場するのが「本質的な問い」です。

最良の問いは、重大な観念を指し示し強調するものである。それらは、内容の中に存在してはいても、おそらくはまだ見られていないようなカギとなる概念、テーマ、理論、問題について、学習者が調査する時に通る門戸として役立つ。(p.129)

 

これまでの授業を振り返ってみると、発問の傾向がずいぶん偏っていたことに気づかされます。

ほとんどが、知識を問うような問い、教科書教材の内容に関する問いでした。

ここで使われている表現技法は何ですか。

(文章の一部を指して)これはどういうことですか、

この動詞の活用の種類は何ですか、

など、答えが一つになるような問いです。

ちなみに、このような問いは本書では「先導する問い(leading question)」と呼ばれています。知識について、教えたり、評価したりするための問いで、明確な答えがある問いです。

 

抽象度の高い問いとしては、

この文章のテーマは何か、筆者はどのようなことを言おうとしているか、

などでしょうか。

これでも教材ベースであることには変わりありません。

 

もちろん、生徒が教材の内容を正確に理解するためのプロセスは必須ですが、

単元がそれだけで終わるようではいけない、

生徒が「重大な観念」を理解するように促さなくてはならない、そういうことでした。

 

『理解をもたらす―』では、「本質的な問い」の特徴として、4つ挙げられています。

1.私たちの人生を通して何度も起こる重要な問いである

2.学問における核となる観念と探究を指している

3.生徒に重要だが複雑な観念、知識、ノウハウを効果的に探究し意味を捉えるのを助ける

4.特定の、かつ多様な学習者を最もよく参加させる

 

一つの単元で終わってしまうのではなく、教科を超えて、学年を超えて(または卒業してからも)何度も出会うような問いを立てるべきだと言っています。

個人的には4つ目の、「多様な学習者を最もよく参加させる」という表現が気に入りました。

よく授業では、クラス内のどのレベルに焦点を当てるか、ということが問題になりますが、問いの抽象度を高め、範囲を広くすることで、いろんなレベルの生徒が、自分なりに取り組める可能性が出てきます。

 

「本質的」かどうかチェック

 単元で扱いたい問いが「本質的」かどうか、これは「どの程度、この問いは、[次のことを]しようてしているのか?」をチェックすることで分かる、と説明されています。

(この、質をチェックするための問いを事前に用意しておく、というアプローチはいかにも海外だなぁ、という気がします)

1.重大な観念と核となる内容について、正真正銘のレリバンスのある探究を引き起こす。

2.深い思考、活発な話し合い、持続する探究、新しい理解、そしてまたより多くの問いを生じさせる。

3.代替案を熟考すること、証拠を比較考量すること、自分の考えを裏づけること、および答えを正当化することを生徒に求める。

4.重大な観念、想定、先行する授業について、活発で継続的な再考を促す。

5.先行する学習と個人的な経験との、意義深い関連付けを引き起こす。

6.自然と繰り返し起こり、他の状況や教科へ転移する機会を生み出す。(p.132)

 

IBでは3種類の「探究の問い」

一方、IBのカリキュラムでは、単元で用いる問いを3種類に分け、バランスよく取り入れるように推奨されています。

それぞれ、事実的問い、概念的問い、議論的問い、といいます。

古典の授業を想定して、3種類の問いを見ていきましょう。

 

「事実的問い」

答えが一つに決まるような問いです。『理解をもたらす―』でいう「先導する問い」と同じでしょうか。

例)平安時代の恋愛作法はどのようなものか。

  男女のコミュニケーションは「竹取物語」の中でどのように描かれているか。

 

「概念的問い」

単元の中で鍵カギとなる概念について探究するための問いです。『理解をもたらす―』で言えば「重大な観念」にアプローチするための問い、ということになるでしょう。

ここでは「コミュニケーション」という概念をカギにしています。

例)時代によってコミュニケーションの方法はどう変化したか。

  コミュニケーションの方法に普遍性はあるか。

 

「議論的問い」

意見が分かれ、話し合いにつながるような問いです。トピックに対する問いでも、概念的な問いでも両方できます。

例)平安時代の女性の生き方は幸せと言えるか。

  男女のコミュニケーションは今後どのように変化していくか。

 

 

このように、様々な階層の問いを計画段階から準備し、生徒の探究や概念的理解を促そうというのです。

 

両者を比べてみると

問いに関しては、『理解をもたらす―』で述べられている内容と、IBの単元づくりには共通性があります。

どちらも、抽象的な(概念的な)問いを重視している、ということです。

 

国語の授業においては、まだまだ教材内容の理解や知識の網羅が授業のねらいになりがちで、授業中の発問もそれに即したものになっています。

 

それによる弊害は、本書では次のように述べられています。

内容を網羅しなくてはならないのだと主張する教師たちが、真に知的な問いには単に口先だけの同意を示すだけで、絶え間なく先延ばしにし続けるとすれば、ひどい代価を支払っていることになる。先導する問いが限りなく続くことで、ほとんどの生徒の問いは次のようないくつかの馴染みのあるものへと縮減されてしまうだろう。すなわち、「これはテストに出るのか?」「これが、あなたの求めていることなのか?」「このレポートはどれぐらいの長さでないといけないのか?」である。(p.148)

いやー、耳が痛いですね。

 

IBの単元づくりをいきなり実行することはハードルが高いでしょうし、

「逆向き設計」のための準備にも時間がかかります。

その時点で、興味がわかなかったり、嫌になってしまう人もいるかも…。

 

ただ、今回取り上げたように、問いの抽象度を上げるアプローチだけであれば、それほどできなくはないと思うのです。

 

IBの用語で言えば、「事実的問い」だけで単元を組むのではなく、どこかで「概念的問い」や「議論的問い」を生徒に投げかけ、学習活動につなげる。

『理解をもたらす―』の言い方であれば、「先導する問い」だけで終わるのではなく、「本質的な問い」を入れていく。

まずはこれを試すだけでも、生徒の反応は変わるでしょうし、単元づくりの幅が広がるのではないかと思います。

 

 

 

『理解をもたらすカリキュラム設計』とIBの単元づくりを比較する(3)

「重大な観念」は「裸の王様」?

「逆向き設計」では、最初に「重大な観念」を明確にし、それを単元設計の中心に据えることが重要だ、ということでした。

ただし、「重大な観念」はそれがどれだけ大切なものであったとしても、抽象的であったり高度だったりするため、生徒にとって面白いものではありません。

重大な観念を直接的に「教えよう」としても、なかなかその意図は伝わらず、また教師の一人よがりなものになってしまう。本書ではそのことが『裸の王様』の比喩で説明されています。

学校における「見事な」諸観念は、しばしば王様の「新しい服」のようなものである。教師や教科書の執筆者や熟達した研究者がその創造物に感嘆や賞賛の声をあげていても、学習者には単に見えないのである。(p.90)

教師にとってどれだけ大切な「観念」であっても、生徒にとってはそれは「見えない服」と同じだ、というのです。

 

ではどうすれば良いのか。本書ではこう続きます。

 

理解のために設計し計画する指導する上では、皮肉にも、重大な観念とその価値が全然明白ではなくなるように、もう一度子どものように見ることに挑戦しなくてはならないのである。(p.90)

教える側はすでにある観念を「大切だ」と理解しているために、それが大切だと分からない人、なぜそれが大切なのかを理解できない人の気持ちになることは難しい。

だから、意識的に、子ども(まだ「大切だ」を分かっていない人)の気持ちになって単元を設計しなくてはならない。

 

…これは大変だ。

知識ベースで授業をしているときに、ここは間違えやすいな、ここは覚えるの大変だろうな、と生徒のリアクションを想像して考えることは良くありますが、

それを概念的な理解においても実行する。

一方的な観念の押しつけにならないように、生徒が何をどう理解し、どう誤解しうるか、授業設計の段階の想像力は、まだまだ練習を積まねばならないようです。

 

「概念」をどう扱うのが有効か

さて、このあたりの記述を読んでいて、IBでのやり方との違いがまた一つ気になってきています。

IBでは授業をする際、単元計画書(ユニットプランナー)を作ります。

ユニットプランナーには、「重要概念」「関連概念」といった、概念的なキーワードを明記しますし、「探究テーマ」(その単元で生徒が理解すること、概念的な短い文)を掲げます。

そして、そのユニットプランナーを単元が始まる前に生徒と共有し、教師は、生徒に学習中つねに概念や探究テーマを意識させることが求められています。

 

ワークショップでもそのように学びました。また、そうすることで生徒の概念理解が促される、とも言われました。

教室に、概念や探究テーマを掲示することが推奨されてもいます。

 

そういうものかなぁ、と思っていたのですが、

『理解をもたらす―』の方では必ずしもそうではないのですね。

概念や探究テーマ(「重大な観念」にあたる)を直接的に生徒に示すやり方は、ここで否定されていたように、王様の「新しい服」を見せていることと同じにはならないでしょうか。

重大な観念は、抽象概念である。設計する上での挑戦は、それらの抽象概念を生き返らせ、きわめて重要だということが見えるようにすることなのである。したがって、私たちが重大な観念を中心に設計しなくてはならいと言ったことは、最初に思っていたよりもずっと困難なことである。生徒が誤解しそうなことについて注意深く留意することは、設計プロセスにおいてより中心に位置づくようになる。なぜなら、重大な観念は単に言って聞かせたり読んだりするだけでは把握されえないものであり、最初に出合ったときには誤解されがちなものだからである。(p.90)

 このように、概念を単元の中で「生き返らせ」ることが求められています。

概念を生徒に提示したり、常に見えるところに掲げておくだけではいけない、それをどう単元のなかに工夫して位置づけていくか。

 

 

概念を単元設計に活かすためには、「問い」が大切になってきます。

次回は、その問いについて書いてみようと思います。

『理解をもたらすカリキュラム設計』とIBの単元づくりを比較する(2)

「逆向き設計」は当たり前?

前回のエントリーでは「教科書ベース」の単元づくりと「逆向き設計」を比較しました。

もちろん、「逆向き設計」などとことさら言わなくても、

目標や生徒に理解させたいことを明確に設定し、評価方法や学習活動、教材を選び、設計している先生方は多くいらっしゃいます。

そういう先生方にとっては、それこそ「当たり前」のことなのかもしれません。

 

思い返せば、教職課程で単元の作り方、授業の作り方を学んでいた時、当然のように教科書教材が先にありました。(教育実習の時も、指導担当の先生から、教材や範囲が指定されることが多いと思います)

 

もちろん、指導案を書く際には、単元の目標や授業のねらいを明確にすることが求められますが、

果たしてその目標やねらいは、どれだけ自分で考えられているのでしょうか?

教材内容を理解させることが目標になっていたり、学習指導要領のねらいをそのまま写したり、ということがままあるように思います。

 

「逆向き設計」を当たり前と思うかどうかの違いは、普段から目標やねらいを自身で考えているかどうかの違い、ということになるでしょうか。

 

私は、素晴らしいと思う実践にふれるたび「すごいなー、どうやったらこういう単元が作れるようになるんだろう」「なんでこんな授業ができるんだろう」と思っていました。

真似しようとしてもできない、その先生だからできるんだ、と思うこともしばしばありました。

でもそれは、完成した単元の結果だけ見ているから分からなかったのですね。

むしろ、その先生が何を大事にして、何を生徒に理解させたいと思ってその単元を設計したのか、そこを見ようとしなければならない。

 

IBの単元づくりや「逆向き設計」を学ぶなかで、そういう目標やねらいと、実際の授業展開や評価方法との関わりについて、少しずつですが見えるようになってきたと思っています。

(そういう意味でも、IBの単元づくりや「逆向き設計」を学ぶ意味はあるかと思います)

 

ゴールの設定

さて、「逆向き設計」ではどのようにゴールを設定するのか。

本書では「逆向き設計」の3段階が示されています。

 

1.求められている結果を明確にする。

2.承認できる証拠を決定する。

3.学習経験と指導を計画する。

 

この1段階目にある「求められている結果」がゴールです。

注意しなければならないのは、「知識」や「スキル」はここでいうゴールに当たらない、ということです。

教科書の内容を理解させることや、読むこと、書くことなどのスキルを身につけさせることは国語科単元のゴールとして、よく設定されます。

しかし、それは「逆向き設計」でのゴールには不適当です。

なぜなら「永続的理解(enduring understanding)」につながらないからです。

 

用語解説から見てみます。

永続的理解(enduring understanding) 教室を超えて持続する価値を持つような重大な観念にもとづく、特定の推論。(p.389)

本書では、このように、単元を超えて、教科の枠を超えて、転移するような理解の重要性について繰り返し述べられています。

そして、生徒がそのような「永続的理解」をするために重要になってくるのが、「重大な観念(big idea)」です。

この言葉の扱いが私にとって興味深いものでした。

 

重大な観念

本書に度々出てくるキーワードとして「重大な観念」があります。

こちらもまずは用語解説から。

重大な観念(big idea) 「理解をもたらすカリキュラム設計」において、カリキュラム、指導、評価の焦点として役立つような、核となる概念、原理、理論およびプロセス。定義からいって、重大な観念は永続的である。重大な観念は、特定の単元を超えて転移可能である。(略)重大な観念は、理解を構築する材料である。それらは、それらがなければバラバラであったような知識の点をつなぐことを可能にする意味のあるパターンとして考えられうる。(p.396)

生徒に「永続的な理解」をもたらすために、教師はまず「重大な観念」を設定すべきだというのです。

 

知識やスキルを網羅しようとすれば、教えなければならないことは膨大に増えていきます。そこで、教師がすべきことは「優先順位を決めること」だといいます。

私たちは慎重な選択をして優先事項を明示的に設定せざるをえない。何を教えるか(何を教えないか)を選んだら、学んでほしいことの中の優先事項が学習者自身にも分かるように支援しなくてはならない。私たちの設計は優先事項を明瞭に表示することよって、すべての学習者が次のような問いに答えることができるようにすべきである。ここで最も重要なのは何か? 諸断片はどのようにつながっているのか? 私は何に最も注意を払うべきなのか? (少数の)肝心な優先事項は何か?(p.78)

 この指摘は耳が痛い…。どうしても網羅的な授業をしてしまいがちです。

 

このように優先事項を決めるときに「重大な観念」を用いるようです。

引用が続きますが、「重大な観念」は、次のようなものとして説明されています。

・あらゆる研究において、焦点を合わせるような概念的「レンズ」を提供する。

・たくさんの事実とスキル、経験を関連付けて体系化することによって意味の広がりを提供し、理解の輪止め楔として役立つ。

・その教科についての熟達者の理解の中心にある観念を指し示す。

・その意味や価値は学習者にとってめったに明らかではなく、直観に反していたり、誤解されやすいものであったりするため、「看破」が必要である。

・転移する価値が大きく、他の多くの探究や長期的な論点に応用される―カリキュラムの中において、また学校の外において、「水平的」(教科横断)にも「垂直的」(その後の長年の科目)にも応用される。(p.82-83)

 

また、重大な観念は次のように顕在化するとも述べられています(例は省略)。

・概念

・テーマ

・進行中の論争と視点

パラドックス

・理論

・基底にある想定

・繰り返す問い

・理解や原理

このように、いろいろな形をもつようです。

『理解をもたらす―』では、教師が単元を設計する際、こういう「重要な観念」を明確に設定するように求められています。

 

IBとの違い

私が興味深いと思ったのは、

同じ「逆向き設計」でも、IBの単元づくりとは違いがあるんですね。

 

IBでは、単元を設計する際、最初に「重要概念」を選択します。

「重要概念」とは、単元や教科の枠を超えて、いろいろな場面で用いることのできる概念のことです。例えば「美」「変化」「コミュニケーション」など、IBのガイドには16の重要概念が選ばれています。

まず、重要概念を選び、それから、それをもとにして授業で理解させたいことを設定すると、ワークショップなどでは学びます。

 

IBでは「概念」の選択が最初にくる。

しかし、先にも見たように『理解をもたらす―』の場合は、必ずしもそうではないんですね。

「重大な観念」は、確かに概念的であるとは書いてありますが、その後の例を見ると、「概念」はたくさんある中の一つ。その中から「重大な観念」を自分で設定する。

 

IBのワークショップでは、「概念」とはbig ideaである、とかいう説明をされたこともあります。

big ideaの訳語の違い、指し示す範囲の違い、最初にもってくるものの違い、こうしたことが『理解をもたらす―』を読むことで、分かってきました。

 

比較してみると、同じ「逆向き設計」でも、IBの方が単元設計のスタートが窮屈な気がします。

『理解をもらたす―』で説明されているやり方は、自由度がとても高いように感じました。

 

IBの方では、全世界的に一定水準の授業を行わなければならないため、世界中のどの教師であっても概念的な単元づくりができるように、あえて自由度を狭めているのかもしれません。

たしかにそのメリットはあるでしょうが、一方で、概念を選ぶところから始めるやり方になじめない場合があることも事実です。

私自身、IBのいう「概念を理解させる」ってそんなに大事なの?って疑問に思うこともしばしばあります。

そんなときに『理解をもたらす―』で述べられているような広い意味での「重大な観念」であれば、多くの先生が納得し、受け入れやすいのではないかとも思うのです。

 

IB校のやり方を取り入れよう、という動きはあちこちで起こっていますが、「概念ベース」の単元づくりは、なじみが薄く、浸透するのに時間がかかりそうです。

また、「概念ベース」と「逆向き設計」がごちゃまぜで語られているケースもあるのではないでしょうか。

「概念ベース」がなじめないからと言って、IBではこうやるんだと強制されたり、または要件だけ満たせばいいんでしょと形骸化させてしまっては、本末転倒です。

 

今回『理解をもたらす―』を読んで思ったのは、big idea(=重大な観念)の指す内容がそれほど広いなら、「概念ベース」と「逆向き設計」を分けて考えるのも手ではないか、ということです。

もちろん、永続的理解をもたらすには概念的にとらえることは不可欠でしょうが、それはおいおい。

まずは、自分が単元を通して理解させたいこと、優先順位をつけること、それでさえできていない場合も多いわけですから、まずはそこから始めてみるのが良いかもしれません。

 

というわけで、今回の結論としては、IBのことは嫌いになっても、逆向き設計は嫌いにならないでください??

 

『理解をもたらすカリキュラム設計』とIBの単元づくりを比較する(1)

オンライン読書会

夏休み、IB関係の先生たちとオンラインで読書会を行いました。

課題となった本はこちら。

理解をもたらすカリキュラム設計―「逆向き設計」の理論と方法

理解をもたらすカリキュラム設計―「逆向き設計」の理論と方法

  • 作者: グラントウィギンズ,ジェイマクタイ,Grant Wiggins,Jay McTighe,西岡加名恵
  • 出版社/メーカー: 日本標準
  • 発売日: 2012/05/01
  • メディア: 単行本
  • 購入: 1人 クリック: 17回
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 IBカリキュラムのもとになった本でもあり、読まなきゃと思ってはいたのですが、なかなか手が出せずにいました…。

グループでの読書会ということで、それなら読めるかも、この機会を逃すまい!と参加しました。(企画してくださった先生、ありがとうございます!)

 

読み進めていくうちに、本書で述べられている「逆向き設計」と、IBのワークショップなどで学ぶ単元づくりのやり方では、いろいろな違いがあることも分かってきました。

そこで、読書会で話し合ったこともふまえながら、『理解をもたらすカリキュラム設計』で書かれている内容と、IBでの単元づくりを比較してみたいと思います。

 

そもそも「逆向き設計」とは?

IBのワークショップなどに参加すると、IBでは「逆向き設計」でカリキュラムや授業を計画する、という内容が説明されます。

では、「逆向き設計」とはどういうことなのでしょうか?

 

『理解をもたらす―』では、次のように説明されています。

「逆向き設計(backward design)」カリキュラムや単元を設計するためのアプローチであり、究極目的を念頭において取り掛かり、その究極目的に向けて設計するもの。(p.393)

「究極目的」というのがずいぶん強いワードですが、1年間の目標を立てたり、単元ごとの目標や毎時間のゴールを設定し、授業を組み立てるのは当たり前の気がします。

 

説明は次のように続きます。

そのようなアプローチは理にかなっているように思われるが、逆向きだと見なさされる。なぜなら多くの教師は、究極目的―めざしている結果(内容スタンダードを満たす、理解を得るなど)―から単元設計を引き出すよりもむしろ、教科書やお気に入りの授業や昔ながらの活動といった手段をもって単元設計を始めるからである。(p.393)

なるほど、「逆向き」というのは、当たり前のことが当たり前に出来ていない現状に対する批判的な意味合いが込められていたんですね。

 

「教科書ベース」の単元づくり

学習指導要領には国語科の目標が書かれています。

 言葉による見方・考え方を働かせ、言語活動を通して、国語で正確に理解し適切に表現する資質・能力を次の通り育成することを目指す。

(1)社会生活に必要な国語について、その特質を理解し適切に使うことができるようにする。

(2)社会生活における人との関わりの中で伝え合う力を高め、思考力や想像力を養う。

(3)言葉がもつ価値を認識するとともに、言語感覚を豊かにし、我が国の言語文化に関わり、国語を尊重してその能力の向上を図る態度を養う。

(『中学校 学習指導要領(平成29年告示)』「第1節 国語 第1 目標」)

それ以外にも、各学校には教育理念や指導方針が掲げられています。

しかし、単元づくりや毎日の授業のなかで、それらをどれだけ意識しているでしょうか。

 

自分がこれまでどうやって年間指導計画を作ってきたか、そしてどういう風に単元を計画してきたかを思い返してみると、ほとんどが「教科書ベース」だったことを思い知らされます。

だいたい私はこのようなやり方をしていました。

 

(0)定期テストの時期や方法は決まっている。すでに教科書がある。

 ※定期テストの方法が「決まっている」というのも思い込みですが、またいずれ検討します

(1)受け持ちの学年が決まったら、最初に当該の教科書を読み、どのタイミングでどの教材を扱おうか考える。

(2)どういう知識をどういう時期に教えるか、を検討する。

(3)余裕があれば、教科書教材を使わない単元を計画する。

(4)それらをバランスよく並べて年間のシラバスを作成する。

(年度初めは時間がないので、4月にできるのはこのあたりが限界…。)

 

およそこんな感じでしょうか。

定期考査の時期が近づいてくると、扱った教材の内容や知識をどういう風に出題しようか、検討していきます。

教科書教材をどう使うか、どうバランスよくテストをするか、ということが発想の中心で、学習指導要領の目標や、学校の教育理念がなおざりになってしまっていることに気づきます。

いつのまにかそれが「普通」なことになっていました。

だから、最初に目標を明確にする、という当たり前のアプローチも「逆向き」に感じてしまうのですね。

 

どういう順番で設計するか

『理解をもたらす―』の説明は次のように続きます。

私たちは、その習慣の逆を推奨する。究極目的(求められている結果)から始めて、それからその結果が達成されたことを判定するのに必要な証拠(評価方法)を明確にする。結果と評価方法が明瞭に特定されると、設計者は必要な(可能性を広げる)知識とスキルを決定し、そうしてようやく生徒たちにパフォーマンスの用意をさせるのに必要な指導を決める。(p.393)

教科書ありき、いつものやり方ありきではなく、

最初にゴールを設定し、次に評価方法を決め、その後で必要な知識やスキルを考える。

そして最後にようやく教材を決める。

この順番で設計するのが「逆向き設計」です。

 

「教科書ベース」のやり方に慣れきっていた私は、IBの単元づくりの方法に取り組んだとき、最初にゴールを設定し、その後で評価方法や学習活動を考える、という「逆向き」の考え方がなかなかできませんでした。

「教科書ベース」で単元を計画する方法と、「逆向き設計」で単元を計画する方法では、発想の順番がまるで違うのです。

 

……『理解をもたらす―』とIBとの比較をするつもりでしたが、「教科書ベース」の授業づくりと「逆向き設計」の比較でここまできてしまいました。

また次回に続きます!

 

 

 

IB国語研究会サマーセミナー

昨日は学芸大学で開催された、IB国語研究会のサマーセミナーに参加してきました。


午前中は様々な学校の先生による「言語と文学」についての実践報告が中心でした。


その中でとくに興味深かったのが、CMづくりの実践です。

学校の図書室をアピールする15秒のCMを作る、という課題に個人で(ときに協力しあって)取り組む。

図書室に人が来ない問題点はどこにあるかリサーチしたり、司書の先生にアピールしたいところをインタビューしたり。

キャッチコピーを考えて、カットなどを工夫する。

非常にたくさんの要素が詰まったプロジェクト学習でした。

いずれ自分のクラスでもやってみたいと思いました。


午後は、ベルギーの石田先生によるワークショップ、学芸大の中村先生によるメディアリテラシーについての講演。


石田先生のワークショップでは、テクスト分析と概念理解を体験しました。

素材は、金子みすゞの詩、グレイテスト・ショーマンの歌、ゴディバブラックサンダーの広告、など。

それらを分担で分析し、どのような概念と結びつけらるか(例えば、アイデンティティー、変化、コミュニケーション、など)、またテクスト間にどのような共通性、関連性があるか、などをグループで話し合います。


テクストを批判的に分析する、それをもとにして抽象的に考える。

こう書くと難しそうな課題ですが、

石田先生はチーム作りでお互い楽しくなるような仕掛けをほどこしたり、そもそも選ばれているテクスト自体が興味深いものだったり、

子どもたちが(参加者が)積極的に参加したくなるような仕掛けをいろいろ用意していらっしゃいました。

ファシリテーターとしての教師の役割を再確認できました。


石田先生との話の中で印象的だったのは、普段からテクストの選択を生徒にやらせているという点です。

トピック中心だけでなく、高学年であれば扱いたい概念を共有し、この概念について理解が深まりそうなテクストを探してくる、という課題を出すそうです。

たしかに、そうすることで生徒が日常的に、出会ったテクストを概念的にとらえたり、批判的に考えたりできるようになっていくんだなと、納得しました。

これもぜひ真似ていきたいところです。


懇親会の後に、同じ参加者の先生が、こういう場に来るだけで元気が出る、とおっしゃっていましたが、おんなじ気持ちです。

たくさん勉強になり、元気が出ました!