Senobi

私立の中高一貫校で国語を教えています。国際バカロレア、子どものための哲学、ワークショップ型の授業づくりに関心があります。

オンライン授業は大変

3度目の緊急事態宣言を受けて、私の勤務校でもオンライン授業が再開しました。

学年ごとに登校日を分けての、分散登校という対応で、オンライン授業の日もあれば、対面授業の日もある、というやり方です。

 

お互いに慣れてきたとはいえ

勤務校では、生徒が一人一台Chromebookを持っています(保護者に購入していただいています)。

また、教員にも一人一台PCが支給されており、学校全体でGoogle for Educationのサービスを利用しています。

 

どこの学校もそうだと思うのですが、昨年度の休校があってから、本校でもICT化が一気に進みました。

これまで授業でPCを使っていなかった先生も使うようになり、また生徒の方もPCを使った授業にずいぶん慣れてきています。

 

オンラインに適した授業スタイル

とはいえ、オンラインで授業を成立させるのはまだまだ大変です。

私の場合は、とくにIBのコースを担当していたこともあり、生徒たちの活動が授業の中心になるような、なるべく教師が前に出すぎないような授業スタイルを模索してきました。

それがオンラインになると通用しなくなるんですね。

 

オンラインは、一斉講義型の授業と相性が良いと思います。

教師がスライドを使って講義をして、生徒がそれを聞いて学ぶ。録画しておけば、後で自分で自由なタイミングで復習することもできます。

受け身の生徒に対してであっても、十分な学習効果があるでしょう。

 

一方で、生徒の主体性が十分育っている場合、オンラインで生徒中心の学習をすることも十分可能です。

担当を決めて発表しあったり、オンライン上でグループワークやディスカッションをすることも、普段の授業とほとんど変わりなくできます。

 

その間をどうつなげるか

困るのは、その間の段階にいる生徒たちに向けて、どう授業をするか。

ちょうど今年度は、中3と高1を担当しています(私の学校は中高一貫校です)。

本来であれば、受け身の学習スタイルの生徒たちにも、グループワークや探究を取り入れながら、自分たちで学んでいくように仕掛けていきたいところです(現に、そういうシラバスを作っていました)。

 

しかし、オンラインだとそれが非常にやりにくい!

 

完全講義型の授業にはしたくない。

でも、生徒たちの参加意欲はまだ低い。

オンライン上では発言が極端に少なくなる。グループワークが成立しない。

生徒のリアクションがないので、こちらの励ましが伝わらない。

…などなど。

 

さて、ここをどうするか。

オンライン上で、受け身の生徒を少しでも主体的な学びに近づけられるのか。

 

緊急事態宣言が延長されるとなると、オンライン期間もさらに延びる可能性があります。このあたりが今の課題です。

 

ならし保育は大変だ

4月から子どもは保育園に通い始めたのですが、ならし保育って、思っていた以上に大変ですね!

予想してた以上にどたばたで、4月から余裕がなくなってしまいました…。

 

仕事に行けない

4月1日から保育園が始まったのですが、いきなりフルで預けられるわけではありません。

園によって違うのでしょうが、うちが通っている園では、最初は2時間から。様子を見ながら少しずつ時間を延ばしていく、という方針でした。

始まって気づきました。

「仕事行けないじゃん!」

 

職場の方は、4月1日から遠慮なく仕事が始まるのですが、1日2時間しか預けられないとなると、二人とも仕事に行くわけにはいきません。

最初は、やはり妻の方が心配だということで、いきなり仕事を休むことになりました。

産休&育休(保育園が決まらなかったので1カ月延長)で1年以上休んでいたのに、この上さらに休むのかと、妻自身も申し訳ない気持ちになっていたようです。

 

もっといい仕組みに出来ないものか

制度的なことで言うと、非常にやりにくいです。

育休期間は保育園が始まるまで。そして、ならし保育は保育園に入園してから。

これだとどうしても、ならし保育の期間は仕事が始まっているのに休まざるを得ません。

 

仕方がないので、交代で休んだり、午前休みと午後休みを交互にとったりと、いろいろ工夫しながら、なるべく仕事に行けるようにしましたが、これも結構大変。

なぜならし保育終了までが育休期間でないのか。この仕組みは変わってほしいですね。

 

急な高熱

最初の数日は、2時間だけとはいえ本当に泣きっぱなしだったらしく、帰るころには喉がかれていました。

こんな様子で本当に慣れるのかと、心配になります。

 

そして、保育園に通い始めて3日後、朝起きたら急に高熱が!

保育園に通い始めるとすぐに病気をもらってくるよと、聞いてはいましたが、少し早すぎないか?

もちろん、この情勢でもありますので、すぐに病院に連れて行きました。

幸い、何事もなく2日ほどで熱は下がりましたが、その後も1週間くらい鼻がぐずぐずで大変そうでした。

 

それでも徐々に慣れはじめ…

そんな感じで慌ただしく過ごしましたが、子どもの方は少しずつ新しい環境に慣れていき、保育園の滞在時間も長くなってきました。

最近では、お昼をおかわりしたり、おやつを食べたりするところまでできるようになり、あと少しでならし保育の期間も終わりだということです。

(お昼をちゃんと食べられるかどうがか判断の分かれ目だそうですね。多少泣いていても、お昼を食べられれば預かっていられるが、泣いてお昼が食べられないのであれば、健康管理上、長い時間預かることはできない、ということらしいです。保育士さんに聞いた話)

 

ICT化が進んでいる

ならし保育の期間、ずっと泣き続ける子の面倒を見続けるのは大変だと思います。

本当にありがたいです。

子どもが通っている園は、ICT化が進んでいてびっくりしました。

・入室、退室はカードで打刻、メールで通知

・連絡帳はアプリを使ってスマホから

・欠席の連絡もスマホ

・その日の活動記録が、写真とコメント付きで保護者に送られてくる(限定公開)

など、すばらしく快適。

(ここの園が進んでいるのか? 保育園はどこもこうなのか?)

 

コロナの影響で、親が園内に入ることはできないのですが、毎日写真で子どもの様子が送られてくるので、様子がわかってとても安心です。

 

学校ももっとこうすべきだよなと、どうしても考えてしまいますね。

新年度初日、保育園も初日

新年度最初の勤務が終わりましたね。おつかれさまでした。

 

新しい職員室の座席配置で、身の回りの整理をしたり、新学期の準備をしたり…

これから会議や研修もたくさんあって慌ただしいには変わりないのですが、

やはり気持ちが改まり、今年はどんなことができるのかと楽しみな気分になります。

 

私の勤務校では、昨年度はじめてのIB生が卒業し、1年から6年生(高校3年生)まで一巡しました。今年度から2巡目に入ります。

 

また、若手の先生を中心に、IBに関わる人も増えてきました。

今年度はこれまでの試行錯誤を生かしつつ、カリキュラムを整理し、みんなでさらに良いものにブラッシュアップしていきたいです。

幸い、やる気のある先生がとても多いので、今年1年でどこまで土台を固めることができるのか、挑戦です。

 

もう一つの目標は、道徳教育の充実です。

先日、ラクイチシリーズの新刊『中学道徳ラクイチ授業プラン』が完成しました。

それを使いつつ、哲学対話の要素を取り入れた道徳の授業をどう学校全体で展開していくか。

こちらも、これまでの蓄積をもとに成果を出したいところです。

 

今年度の私の取り組みは、この二つが主なものになるでしょうか。

また途中経過も含めて、ブログで紹介できたらなと思います。

 

 

もうひとつ。今日は保育園初日でもありました。

 

コロナで入園式等の行事は無く、看板の前で記念撮影するだけでしたが、今までずっと家にいた子どもが、いよいよ外の世界に出ていくのかと思うと感慨深いものがありました。

 

 

また、感染予防のため保育園内に両親は入れず、入り口で保育士さんに預ける決まりになっていました。

朝からご機嫌だった子どもも、いざ保育士さんに抱っこされるとすぐに大泣き。

子どもの泣き声を聞きながら、保育園を後にしなければならないのが寂しくて…(妻はちょっと泣いていました)。

 

慣らし保育ということで、今日は2時間だけ。

その後私は仕事に行ったのですが、あとから妻の話を聞くと、その後も泣き続け、迎えに行ったころには声がかれていたそうです。

 

これがしばらく続くのかと思うと、なんとも辛いものがありますね。

夜になっても、子どもがどこか落ち着かない。

いつも以上に抱っこをせがんできたり、ずっとぐずっていたり、大変な一日だったんだろうなぁ。本当にいずれ慣れるのかと、心配でなりません。

 

…とまぁ、こんな感じで新年度が始まりました。

ブログ読者のみなさまも、お互いがんばりましょう!

 

明日から保育園

仕事に復帰して3週間、あっという間に過ぎていきました。

 

復帰早々いろんな仕事が回ってきたために、なかなか家のことをやる時間がとれなくなってしまいました。

仕事で疲れて家に帰って、そのまま休みなく子どもの面倒を見る時間に突入したり、

帰るのが遅くなって、家についたときにはもう子どもが寝ている、とか…

話には聞いていましたが、仕事をしながらの育児ってみんなこんな感じでやっていたのかと、ようやく大変さが分かってきました。

 

1歳になってから、子どもががぜんいろんなことを覚え始めました。

ご飯のときにはちゃんと手を合わせて「いただきます」「ごちそうさま」のしぐさをしたり、

絵本を自分で本だなから引っぱり出したり、

欲しいものと、いらないものの意志表示がはっきりできるようになったり、

毎日どんどん新しいことが出来るようになってきています。

 

明日から、保育園に通い始めます。

夫婦そろって働きながらの子育て。

いったいどんな感じになるのか分かりませんが、無理しないように気をつけながら、楽しんでやっていきたいですね。

 

1歳の誕生日

子どもが今日で1歳になりました。

とくに大きな病気やケガもなく、ここまでやってこれたことに一安心です。

 

育休も終わって、今日から仕事に復帰しました。

1年も学校を離れていると、なんだか緊張しましたが、久しぶりに会う同僚や、いろんな人から「無理しないでくださいね」「徐々に慣らしていって」などと声をかけられ、温かい職場だなと感じましたね。

 

試験期間で早く帰れたこともあり、家で1歳のお祝いもしっかりできました。

「選びとり」とか「一升餅」とか、私の地元福井ではやっていないような(私が知らないだけかも)お祝いイベントを妻が用意してくれていて、楽しいひと時でした。

 

これから子どもと一緒にいる時間が減っていきますが、家族みんなで次のステップに進むということで、またこれからの生活を楽しみたいと思います。

 

育休最終日

明日は子どもの1歳の誕生日です。

というわけで、育休も今日まで。明日から職場に復帰します。

 

思えば大学を卒業してから十数年間、ずっと仕事ばかりしてきたので、1年も学校を離れるなんて最初はどうなるかと思っていました。

これまで持ち上がりで教えてきた学年や、校内での分掌など、自分がいなくて大丈夫なのかと思うと、正直4月、5月は気分が落ち着きませんでした(学校のコロナ対応などがあったのでなおさら)。

 

けれど、過ぎてみれば1年間なんてあっという間ですね。

今一番思うのは、学校は自分がいなくても十分回るし、生徒は自分が教えなくても成長する、ということです。

 

考えてみると、自分がいなきゃ、なんて思いすぎるのはおこがましいですね。

子育てをしながら、これまでに自分がやってきたこと、自分の役割、何ができるのか…など、ゆっくり考える時間がとれたのは、ほんとうに良かったです。

 

1年間仕事を離れてみて、やっぱり教育に携わるのが好きなんだなぁという思いを新たにしました。

育休中に考えたこと、経験できたことはまだまだいろいろありますが、それらはおいおいまとめるとして、

また明日から、気持ちを新たに(無理することなく)やっていこうと思います。

 

「信頼貯金」実践の問題点

最近、「信頼貯金」という実践があることを知りました。

有名な実践らしく、ウェブ上ではいくつも実践記事を見つけることができます。

道徳の授業として行っているケースや、担任の先生がクラス活動として行っているケースなどがあるようですが、いずれにせよ、その内容には問題があるように思います。

一番気になったのは、実践によって差別を助長するのではないか、ということです。

先日Twitterの方で連続ツイートをしたのですが、ブログ内でも改めて問題点をまとめておきます。

 

なお、初出がまだ分かっていないことと、特定の個人を批判したいわけではないので、具体的な引用は避けます。ただ、実践にはおよその「型」があり(おそらく先行実践を見て追試しているからだと思いますが)、以下に挙げる問題点はほとんどの実践に当てはまるだろうと思います。

 

教師による子どもへの差別

一番問題だと思ったのは、導入での教師の説明です。

 

導入の例で登場する教師は、児童/生徒であるAさんとBさんが同じことをしていても(宿題を忘れるなど)、片方の生徒(仮にAさん)には優しく対応し、片方の生徒(Bさん)には厳しく当たっています。

実際の授業者である教師は、この例を挙げながら「これは差別でしょうか?」とクラスの子どもたちに問いかけます。子どもたちからは「差別だ」「いや何かあるはずだ」などの回答を想定しているようです。

そして、その後に、Aさんは普段から良い行動をしている(友達に親切にするなど)、Bさんは普段から悪い行動をしている(友達をたたくなど)、という情報を追加して子どもたちに提示します。

そして、子どもたちから、普段の行いがそうなら先生の態度が変わるのも仕方がない、という意見を引き出します。

その後授業者の教師から、Aさんは普段から良い行いをしているので「信頼貯金」の残高が高く、Bさんは普段から悪いことをしているので「信頼貯金」の残高が低いと説明されます。

例の中で教師の態度が異なるのは「信頼貯金」の額が異なるからだ、というわけです。

 

このように、導入で紹介される例の中で、教師はその子の普段の行いによって態度を変えているのですが、これは子どもに対する差別であり、教師としてはやってはいけないことです。

その子の信頼貯金の額によって教師の態度が変わることを生徒に伝えていますが、それをしてしまっては教育は成り立ちません。

 また、子どもたちにも、相手に責任を求めて態度を変えて良いのだという間違った理解をもたらしてしまうことにもつながります。

 

「良い」「悪い」は誰が決めるのか

冒頭の例を示したあと、相手からそういう態度を取られないように、普段から「良い」ことをして「信頼貯金」を貯めていきましょう、という説明がなされます。

この点も疑問です。

貯金が貯まる「良い」行為と、貯金が減る「悪い」行為は誰が決めるのでしょうか?

実践によっては、××をしたらプラス〇〇円(またはマイナス〇〇円)などと、行為と金額を直接的に結びつけているものもあります。

この金額の多寡はどのように決まるのでしょうか?

良い/悪いだけでなく、「良い」行為に優劣をつけていることにもなります。

 

仮に道徳の授業で「信頼」を取り上げるのであれば、

何が相手の信頼を得る行為/信頼を損ねる行為なのかを子ども主体で考えたり、

仮に相手のことを不信に思ったとしても、相手にどういう事情があるのかを想像してみるように促したり、

お互いがどう歩み寄れるのかをクラスで考えたり、

そういう活動が必要なはずですが、そういう展開にはなっていません。

これでは、教師による価値観の押し付けです。

 

子どもへの悪影響

仮にこういった授業を行った場合、

ある子がクラスメイトに対して冷たい態度をとったとき、それは相手の信頼貯金が少ないせいだと、簡単に相手の責任にしてしまう可能性があります。

子どもがそう主張した場合、教師はどのように返答するのでしょうか(冒頭の例で教師も同じことをしている)。

また一方で、冷たくされた側が、自分の信頼貯金が少ないせいだと思い込んでしまうのも心配です。

「いじめられる側にも責任がある」というのと同じ構造に思えます。

 

研究を曲解して紹介

また、後半の説明で唐突に大阪大学の研究結果が紹介されているものがあります。

もとの情報は以下のリンクだと思いますが、実践記事を読む限り、この研究の一部を曲解(拡大解釈)して、子どもに誤った理解をもたらしているように思います。

www.osaka-u.ac.jp

 

 このHPで紹介されている内容を読む限り、対象となった幼児の行動に変容が見られた、ということは示してはいますが、それはそのまま「人に親切にすれば〇倍になって返ってくる」ということを証明するものではありません。

研究結果の一部を拡大解釈して、子どもに伝えるのは問題があると感じます。

また、仮に研究結果がそうであったとしても「~である」という事実から、直接的に「~すべきだ」という価値を主張するのは飛躍です。

(研究結果を適切に紹介して、子ども自身が「友達に親切にしよう」と思うのは自由ですが)

 

また、前半の信頼貯金の残高によって相手の行動が変わるという話と、後半の、相手に親切にすれば〇倍になって自分に返ってくる、という話のつながりが不明です。

 

もとの話とも異なる

「信頼残高」の話自体は、スティーブン・R・コヴィー『7つの習慣』の中で紹介されているものです。

しかし、もとの本の中では、自分の心の持ちようを変えればコミュニケーションが上手くいって成功につながるよ、という自己啓発の文脈で使われているだけです。

貯金はコミュニケーションの比喩であり、信頼残高を貯めるための心の持ち方や、コミュニケーションの方法は紹介されますが、「友達をたたいたらマイナス〇〇円」などという金額の話は出てきません。

 

問題点を残したまま拡散される怖さ

冒頭でも書いたように、どなたが最初にこの実践を、どういう形で行ったのかはまだ分かっていません。

おそらく、子どもによりインパクトのある伝え方を、ということをねらった結果、教師が子どもの普段の行いによって態度を変える例が付け足されたり、行為と金額を直接的に結びつけて計算させたり、大阪大学の研究結果を引用したりしたのではないかと想像します。

ただ、それらには上記で述べてきたように、多くの問題点があります。

 

この実践が、十分に批判された過去の実践であればまだよいのですが、ブログや実践共有サイトなどに今でも(割と最近の実践として)掲載されていますし、Twitterを通して今現在も「良い実践」として拡散されているように見受けられます。
そのため、一度はっきり批判しておこうと思った次第です。

ご意見いただければ幸いです。