弁論大会の単元で意識したこと(2)
前回の記事の続きです。
今回、「自分で決める」という経験ができることを念頭に置いて単元を計画しました。
一つはテーマ決めですが、
もう一つ、話し方について、その評価規準を自分で決め、利用するという活動を盛り込みました。
以前も「話すこと」の学習活動では、教師の側で「良い話し方」をするためのチェック項目を作成して、それを配布したりしていました。
ただ、それだと生徒一人一人のスキルの差や好みが考慮されません。すでに人前で話すことが得意な生徒がいる一方で、下を向いてしか話せない生徒もいます。
そういう違いに目を向けないまま、画一的な「良さ」を押し付けているのではないかと思うようになってきました。
そこで今回の単元では、どういう話すスキルを伸ばしたいのか、生徒自身が項目を決め、ルーブリックを作成し、それにもとづいて練習する、という活動を入れることにしたのです。
具体的な学習プロセスはこんな感じです。
①短いスピーチの動画を複数本見る。
今回は、高校生の弁論大会、TED、外国人による日本語弁論大会の動画を選びました。
動画を見て、「良い話し方」のためにはどのようなスキルが必要か、全員で挙げていく。
声の大きさ、スピード、抑揚、ボディーランゲージ、などたくさん挙がる。
②前回出た観点から、自分が伸ばしたい観点を三つ程度選ぶ。
それぞれの観点について、bad、not bad、good、excellent の4段階でルーブリックを作成する。
③短い意見文を声に出して読み、ルーブリックに基づき自己評価する。
今回は新聞の投書欄を使いました。
グループになり、他のメンバーにスピーチし、自分の作ったルーブリックをもとに評価してもらう。
改善点を確認し、練習する。
④自分の作成した原稿を声に出して読み、グループメンバーに、ルーブリックをもとに評価してもらう。
今回やってみて良かったと思ったことは、全員が評価の観点が異なるので、グループ学習で真剣に聞き合う姿が多く見られたことです。
相手がどういう点を伸ばしたいかを事前に確認し、そこに注意しながら聞いたり、アドバイスをする姿が多くみられました。
また、全員が同じようにやらなくていいんだよ、自分なりに上達できればいいよ、と伝えていたので、
コミュニケーションが苦手な生徒も、自分ができると思う範囲で練習に取り組めていたのも、やって良かったと思ったポイントです。
今回のやり方は、IBのパーソナル・プロジェクトで、自分の成果物について自分で評価規準を決めて取り組む、というやり方があることを知って、それをヒントに計画したものです。
これまでとやり方を変えてみると、また違った生徒の姿が見られます。
まだまだ可能性はありますね。
弁論大会の単元で意識したこと(1)
今日は3名の方が授業見学にいらっしゃいました。
高校生の「話す、聞く」学習活動ということで、いま取り組んでいる弁論大会の準備を見ていただきました。
授業後のインタビューで話したのですが、今回の単元では、「自分で決める」ということを意識して設計しました。
一つはテーマについてです。
本校では哲学対話や、探究活動を通して、自分が気になっていること、疑問、考えたい問いを大切にするように中学生の時から促しています。
そのため、身近なことに関して、抽象的にとらえて問いを立てることは上手になってきています。
しかし一方で、社会的な問題に対する関心は弱いと感じていました。
高校生になった彼らにはもう一歩踏み出して、いま世の中で何が問題とされているのか、それについて自分はどういう立場なのか、ということについても考えてほしいと思いました。
それが、自らの興味で学ぶきっかけになったり、大学の学部選択や、いずれは就職のときなどに役立つかもしれないと考えたからです。
と思って始めてみたものの、テーマ決めはかなり難航しました。自分でテーマを決めるのは、本当に苦手なようです。
まず、テーマや課題は先生から与えらるもの、という強い意識があります。
これから自分が述べたいテーマを挙げてみよう、といっても、ない!思いつかない!といったリアクションがほとんどでした。
マインドマップ作りや、ブレインストーミングから始め、自分は何に関心があるのか、最近読んだ本は何か、気になるニュース
は何か、など、ゆっくりテーマを探させました。動けない生徒のところへいっては、質問して、答えを引き出していきます。
早い生徒は1時間程度の活動で、様々なテーマ候補を見つけられるのですが、
苦手な生徒は3時間かかっても、なかなか決められないのです。
なぜこのような差があるのかは分かりませんが、
小さい時から自分で決める経験を積んでいるのか、決める経験をほとんどしてきていないのか、そういうことも影響しているのかなぁ、と考えました。
ただ、ここで教師がテーマを決めてしまっては意味がないと思い、ぐっと待つことにしました。
自分で決める、二つ目は評価基準についてなのですが、それはまた次回に。
朝読書とリーディングワークショップを比べてみる
私の勤務校では、主に中学生対象で何年も前から朝読書を行っています。
今年度、リーディングワークショップを始めて、
生徒から、もっと本が読みたい!図書室に行きましょう!という声をよく聞くようになりました。
これは、これまでの朝読書ではあまりなかったリアクションです。
とりあえず、生徒と本の話をする時間は確実に増えました。
単に授業がやりたくないから、というのもあるかもしれませんが、このような読書についての生徒の反応の違いに、思わず考えてしまいました。
この差は何なのか。
本校の朝読書は、
・教室の自分の席で読む
・毎日15分程度
・立ち歩くと注意される
・読んでいないと注意される
・課題や自習はしてはいけない
だいたいこのようなルールで、担任の先生が見ています。
リーディングワークショップは、国語の時間内で、
・図書室内の好きな場所で読む
・好きな姿勢で読む
・週に1コマ、40分程度
・立ち歩いてよい
・本を読んでいない生徒には、担当者が声をかける
・課題や自習をしてはいけない
およそこういった運用をしています。
生徒が読んでいるのは中長編の小説が中心です。やはり、15分という時間では物語そ世界に入り込めないまま(またはちょうど入り込むくらいで)終わりになってしまうのでしょうか。
朝読書中、少し席を離れたり声を出すと、すぐに注意されるという運用が、生徒にはストレスなのかもしれません。
確かに、全クラス一斉にやっていると、各教室で騒がれては困ります。
朝読書の目的は何なのでしょう。
生徒の読書習慣を育む、というのが主な目的だとは思いますが、
・授業に向けて集中する
・静かに座っている
という別の目的もずいぶん背負わされているように思えてきました。
あとは朝イチという時間帯。
私は朝が苦手なので、朝早くからの読書ができません。
眠そうで、いつもぎりぎりに来る生徒なんかは、そういうタイプもいるだろうな。
自分の生活リズムと合わない時間帯に読書を強制されるのもなかなか辛いのではないか。
なかなか本を読む時間が取れないから、という理由で朝読書が広まったと聞いています。
リーディングワークショップという形で授業内で読書時間が確保できるのであれば、
朝の15分はまた別の形での活用ができるのではないか。(知識の暗記、ドリル、朝対話…)
朝読書とリーディングワークショップを比べながら、いろいろと考えています。
疲れていては探究はできない(教師も同じ)
入試業務とそれによる疲労のために、活動が停滞していました。
その間、少し振り返ってみたのですが、今年は新しいことにずいぶん取り組んで、そのために考え疲れていたのかもしれないな、と思いました。
IBのカリキュラム設計、探究型授業の単元計画、ワークショップ型授業…
どれもやりがいがあり、成果や可能性も見えてきたのですが、
一方で新しいことに挑戦するなかで、少しずつ余裕をなくしていたのかもしれません。
その結果、授業の準備が中途半端になったり、生徒の学習にきちんと向き合う時間が不足していきます。
当たり前のことですが、教員に時間的な余裕と、精神的な気持ちの余裕がなければ、探究探究型授業は、一気に生徒にやらせるだけの放任授業になってしまいます。
疲れていては探究型授業なんてできない。それは生徒も教師も同じ。
そのことを再確認しました。
弁論の要約
先日から弁論大会に向けた原稿を作成する課題に取り組んでいます。
生徒は、それぞれ関心のあるテーマを設定し、それについての意見を述べていきます。
ただ、自分の意見を分かりやすく述べる、という点に苦労する生徒がたくさんいます。
事実
問題提起
意見
理由・根拠
を分けて、読み手(聞き手)に伝わるような文章を書いてみよう、と促しているのですが、なかなか難しいようです。
そもそも段落を作ることができない生徒がまだそれなりにいます。
下書きをチェックして、一人一人に声をかけていく必要があります。
また、話の筋道ができておらず、何を言っているのか伝わってこない文章が出来上がってきます。
そういう生徒とは直接対話するなどして、どのようなことを書きたかったのか、整理する手伝いが必要です。
今日、クラスで取り組ませて有効だと思ったのは、自分の文章の要約を作ろう、という課題です。
「評論文の読解でよくやるけど、要約が書けるためには、文章が理解できていないといけないよね。
みんなは自分の書いた文章の要約ができるかな。自分の書いた文章であれば、内容は完全に分かっているはずだよね。
自分の文章の要約が書けないとしたら、それは自分でも何を書いているか分からないということなんじゃないかなぁ。
自分でも分かっていないんなら、他の人に伝わるわけはないよね。」
と、こんな説明をしたら、生徒はなるほどーといったリアクション。
この課題が良かったのは、
自分の作文、その論理性について客観的に考える機会になること。
話の展開がおかしいということに、自分で気づけることです。
また、要約を書いても気付けない生徒には、教師がその要約の添削をすることで、論理的におかしな点、不十分な点を指摘しやすくなるというメリットもあります。
これまでは書きあがった下書きをもとにして、ここもっとこうしたらいいよ、とかアドバイスをしていましたが、
今回は概要だけを読んで、理由が書かれてないよ、とか話題がずれているよ、などとアドバイスできるようになりました。
その結果、個別サポートの時間を短縮できるようになり、いつもより多くの生徒に声をかけて回れるようになりました。
この方法はもう少し洗練すると活用できそうです。
ちょうどいい課題を出すのは難しい
中学一年生の古典、
単元の最後に「紙芝居の脚本を書こう」という課題をやりました。
(1)複数の紙芝居と、原作を読み比べる。あらすじが同じでも、書き方や言葉の選び方で受け手の印象が変わることを学ぶ。
(2)冒頭文の音読、歴史的仮名遣いの学習
(3)教科書を読み、「竹取物語」の原話の学習
(4)「紙芝居の脚本を書こう」
はじめに、クラス全体で「竹取物語」から読み取れるテーマについて話し合います。
例えば、
かぐやひめの悲しさ
翁・嫗の悲しさ
といった登場人物に即した意見が出たほか、
愛する人と別れることの辛さ
子を失う親の悲しみ
富や権力をもっていても愛する人がいないのでは意味がない
当時の人々の月への憧れ
といった抽象化した意見も多数出ました。
次に、自分で伝えたいテーマを設定し、それをより効果的に伝えるために、物語をリライトする、という課題に取り組みました。
結果的には、これがあまりうまくいきませんでした。
同じストーリー展開でも、書かれ方の違いによって伝わる印象が変わる。
自分が設定したテーマを効果的に伝えるためには、どういうふうに書き方を工夫したらいいか。
そういうことを考えてもらおうと計画したのですが、生徒にとっては難しかったようです。
「悲しさ」をテーマに設定した生徒の多くは、翁と嫗が最後に死んでしまう展開にしていました。
不老不死の薬を飲んだおじいさんとおばあさんが、ロケットに乗って月に行くとか…。授業のねらいとはかなり離れた作文が出来上がってきました。
思いつかない、といって課題の取り組みが中途半端なままの生徒も多くいました。
反省。
単元をふりかえりって、どうすればよかったのか。
・あらすじを変えずに、という点が伝わっていなかった。または理解できていかなかった。
生徒は物語の展開を考えるのに夢中になる。細かい言葉の選択に注意を向けさせるまでになっていない。
(もとになる現代語訳を配った方がよかった)
・書き方や言葉の選択が変われば、同じあらすじでも読み手の印象が変わる、ということを実感できていない。
最初に紙芝居で例を示したが、それだけでは不足で、もっといろいろと例示した方がいい。
・そもそも物語を書くという経験や、物語を読むという経験が足りていない。
書き方を工夫をする前に、いろんな物語を紹介して、短い物語を書く練習をした方がいい。
中学一年生という年齢にとって、この課題はどうなのか、うちの生徒(目の前の生徒)にとって適切なのか。
ライティングワークショップの授業に取り組み始めたは良いけれど、
どのタイミングでどういう課題を設定し、どういう声がけ(サポート)をしていくか、
そういうロードマップが自分の中にないことを痛感しました。