Senobi

私立の中高一貫校で国語を教えています。国際バカロレア、子どものための哲学、ワークショップ型の授業づくりに関心があります。

第1回チョークトークカフェ開催

以前の記事にも書きましたが、教育をテーマにした哲学カフェを始めました。

名前は「チョークトークカフェ」です。


その1回目のイベントが、昨日無事に終わりました。

主にTwitterを使った告知で、どれくらい集まるのかは不安でしたが、出入りはあったものの、耳だけ参加の方も含めて15人前後の集まりになりました。

哲学カフェとしては一番対話しやすい人数になったと思います。


テーマは「道徳」。

ゲストスピーカーとして、Twitterで精力的に道徳について発信されている「白黒先生」に話題提供をしていただきました。


その後、「抽象的な思考を深める道徳の授業展開とは?」という問いから全員での対話をスタートさせました。

対話する中で他にも、国語と道徳はどう違うか? 道徳の授業の目的は何か? どういろんな教科と連携できるのか? などの話題に広がっていきました。


全員で話し合いたい問いを決めるための方法をもっと良くできないか、とか、授業づくりの勉強会みたいになってしまって学校の先生以外が対話に入りづらかったのではないか、といった反省点もありましたが、

参加者のみなさんに、様々な角度から意見を言っていただいたので、発見の多い対話になったと思います。


次回は12月26日(土)、「主体性」をテーマに行います。

来年は、月1回くらいのペースで継続できたらなと考えています。


育児生活9カ月 保育園の申請

前回の記事のようなことはありましたが、とにかく無事に9カ月目を迎えました。

 

先日、保育園の申請を行いました。

 

やってみて思い知ったのですが、かなり面倒な手続きですね。

必要な書類を準備し(職場に書いてもらったり)、要項を読んで、何枚かの書式に記入して…と、やることがいろいろあります。

さらに、要項の記述や、書式のフォーマットが分かりづらい。

まず要項の文字が小さくて読みづらい。そして文章量が多い。

書式は、書き方に迷うようなところが複数個所あって、そのたびに迷って要項を読み直さなければいけなくなります。

 

妻が書いていたのですが、「これどういう意味かなぁ、どう書けばいい?」と聞かれても、こっちも分かりません。

書類とにらみ合いながら、二人でだんだんイライラしてきたりして、夫婦間によけいなもめ事を生み出さないでほしい。

 

良くないです。

 

場所によってフォーマットは違うのでしょうけれど、他の自治体はもっとましなのかしら?

 

なんとか書類の準備ができたら、今度は役所まで直接提出に行かなければなりません。

赤ちゃんを連れていくとなると、それだけでも結構大変です。

オンライン申請にできないものか。

 

役所では、書類に不備がないかどうかの確認と、この後の流れについて、こと細かく説明されました(良く言えば丁寧なのですが、細かい条件等を書いた文書を延々と読み上げられる感じでした。後で問題が起こらないように、との配慮なのでしょう)

 

これだけやって、3月からの入園はほぼ無理、4月からでも決まるかどうか、と言われてます。なんだかむなしくなります。

世の中みんなこれをやっているのかと思うと、尊敬しますね。

 

もっとストレスなく申請できて、保育園に入りやすい世の中になってほしいなぁ。

 

救急車を呼んだ

(不穏なタイトルですみません。先週起こったことです。最初に書いておくと、家族全員無事ですので、その点ご安心ください。)

 

実家から帰ってきてすぐのことです。

夕食の時間になり、妻は赤ちゃんに離乳食を食べさせています。私はその間に食事の準備をしていました。

突然赤ちゃんが大声で泣き始めました。見ると顔が真っ赤になっています。

今まであんまりそんなことがなかったので、どうしたのだろうと思っているうちに、むせび始め、ますます泣き声が大きくなってきました。

うまく呼吸ができていないようで、苦しそう。

 

食べ物をのどに詰まらせてしまったのではないかと、抱っこして背中を叩くのですが、ますます強く泣くばかり。妻は「どうしよう、どうしよう」と半分パニックみたいになっています。

泣いているっていうことは、呼吸ができているはず、と言ってはみるものの、自分もどうしていいか分からず焦ります。

 

妻が育児のハンドブックを持ってきて、「食べ物が喉に詰まった時」のページを開きます。そこには赤ちゃんを横抱きにして(頭を下の方に向けて)背中をどんどん叩く、とあります。そのようにしてみるのですが、苦しそうな呼吸が変わりません。

それでもだめなら、喉に指を入れて吐き出させる、とあるのでやってみますが、ますます泣いて余計に苦しそうな様子。

 

そうこうしているうちに泣き声と呼吸が弱くなり、顔がなんだか青ざめてきたようだったので、このタイミングで救急車を呼びました。

 

電話での指示では、背中を叩き続けること、呼吸が止まっているようなら心臓マッサージ、ということでした。

 

それで、再び縦抱きにして背中をたたいたり、さすったりしていると、泣き声と呼吸が少しずつ落ち着いてきました。顔色もだんだんもとに戻ってきました。

 

救急車が到着する頃には、ずいぶんと落ち着いた状態になっていました。

念のため、夜間の病院で診てもらうことになりましたが、救急車に乗っている間赤ちゃんはすっかり眠ってしまっていました。

 

緊急で診てもらいましたが、とくに問題なしということで、すぐに終わりました。

ようやく一安心です。

赤ちゃんの喉は細いので、勢いよく食べてしまうと喉に詰まってしまうことが時々あるそうです。今回は、背中を叩くことで、自分で吐き出したか飲み込めたかで、少しして落ち着いたのだろうということでした。

 

また起こるかもしれないので、そういう時の対応も聞いてみました。

呼吸が苦しそうでも、泣いているのであれば息が出来ているので、焦らず縦抱きにして、背中を叩き続けるのが良いそうです。

横抱きにして、頭を下にして背中を叩いて吐き出させるのは、完全に詰まって呼吸が出来ていない場合の対応。

また、喉に指を入れるのは乳幼児の場合は逆に押し込んで詰まらせてしまう危険性もあるそうです。

 

いつ何が起こるか分からないと言いますが、今回急にこういうことになって、本当に焦りました。

また、救急隊員の方に聞かれて、妻の携帯電話の番号を覚えていなかったり、母子手帳や赤ちゃんの保険証の場所が分かっていなかったりと、自分の備え不足も痛感しました。

何事もなくて本当に良かったです。

 

 

哲学カフェを始めました

教育について対話する哲学カフェを始めることにしました。

名前は「チョークトークカフェ」です。

 

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P4C(子どものための哲学)や哲学対話に出会ったのは、今から9年前になります。その後、学校内で哲学対話を実践し、また外部の研修会や哲学カフェにもよく参加してきました。とくに勉強になっているのが、立教大学で行われている土屋陽介先生の研修会です。そこでは多くの仲間と知り合うことができました。

 

さて、いろんなところで哲学カフェが開かれ、またテーマとして教育が選ばれることも多いのですが、教育に特化した哲学カフェはあまり見かけません(頻繁にやっている方がいらっしゃったらすみません)。それが、自分でも哲学カフェをやってみようかと思ったそのもそのきっかけです。

 

また、コロナ禍をきっかけとして、オンラインでの教育イベントがずいぶん増えました。私もいろんなイベントに参加し、そのたびに勉強になっているのですが、その一方で、参加者同士で話し合う時間が短いなと感じることも多くあります。ブレイクアウトセッションで10分とかだと、慌ただしくてなかなか考えを深めるところまでいきません。

せっかくオンラインで集まりやすくなったことだし、もっと参加者同士でゆっくり対話しながら、教育について考えを深める場がほしいなあ。そんなことを考えたのが、次の動機です。

 

そんな気持ちでいたときに読んだのが、この本。

ゼロからはじめる哲学対話 (哲学プラクティス・ハンドブック)

ゼロからはじめる哲学対話 (哲学プラクティス・ハンドブック)

  • 発売日: 2020/10/23
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

土屋先生の勉強会で知り合った仲間の先生が多く執筆されており、その関係でいただいたものです(ありがとうございます!)。

哲学対話の基本的な考え方に始まり、哲学カフェの始め方、終わり方、予想される困りごとなど、かゆいところに手が届くような作りになっています。

 

この本を読んで、よし自分でも哲学カフェをやってみようという気になりました。

 

コロナを経て、これから教育がどうなっていくのか。いろんな人が悩みや疑問を抱いていると思います。

学校の先生だけでなく、保護者や、教育に関心のある学生さん、社会人の方、そして今教育を受けている子どもたちも参加してくれたら、面白い場になるんじゃないかと想像しているところです。

 

 

「チョークトークカフェ」の名前は、教育に特化したカフェであることを表したかったからです。

 

最初はエデュカフェとかエデュトークとか考えましたが、そういう団体はもうすでにあり(そりゃそうですね)、「チョーク&トーク」から拝借しました。

「チョーク&トーク」は否定的な文脈で使われることが多いのですが、教育に関する対話、ということで覚えてもらいやすいかなと。

 

Twitterでやりとりさせていただいている先生の協力も得て、12月中に2回カフェを行うことがすでに決まっています。

 

第1回 12月12日(土)20時~ テーマ:道徳

第2回 12月26日(土)20時~ テーマ:主体性

 

TwitterのアカウントやFacebookのページも作成しました。

イベント詳細のお知らせや、参加申し込みはこちらから行う予定です。

ぜひフォローよろしくお願いいたします!

 

 

https://www.facebook.com/ChalkTalkCafe

 

 

カフェの様子など、またこのブログでも紹介していきたいと思います。

 

実家暮らしを終えて

1カ月半ほど、ふるさと福井で生活していましたが、先日ようやくもとの家に戻りました。

 

妻が慣れない土地で生活するのは心配でしたが、予想していたより快適で、当初の予定を少し伸ばすほどでした。

(後半は、気温が下がって大変でしたが…)

 

やはり、両親以外に赤ちゃんの面倒を見てくれる人がいる、というのは心強かったですね。

三人で生活していると、食事を交替でとったり、いつもどちらかが見ていなければならなくて気が休まらないのですが、

少しの間じいちゃんばあちゃんに見てもらって、その間にゆっくり食事したり、近くを買い物に出かけられる、というのでずいぶん気持ちが楽になりました。

 

赤ちゃんも、最初の数日は慣れない環境、慣れない大人に泣きっぱなしでしたが、しばらくすると落ち着いて、よく笑うようになりました。

良く見て理解しているんだなと、赤ちゃんの学習能力や順応に驚きます。

 

実家では車を使って、連日いろんなところに出かけられるので、妻にとっても良い気分転換になったようです。

こちらだと、車を持っていないので、コロナで電車も使いたくないし、乗り換えも大変だし、ということで家にこもりがちの生活を送っていました。

ちょっと買い物するにしても、田舎では車がないとやっていけないのですが、やはり便利で手放せないなと思います。

高齢者の自動車事故の報道が増えていますが、うちの両親もいい年なので、いつまで車に乗り続けるのか、心配なところです。止め時が難しい。

 

長期で育休を取っていること自体が珍しいらしく、そのことを話すと、友達、親戚、近所の知り合いのおばちゃんなど、一様に驚かれます。

やっぱり都会は進んでるね~なんて言われるのですが、別に都会でも取得率がそんなに高いわけではありません。

ただ、育休を取るという選択肢自体は浸透しているのかと思います。

近所のおばちゃんから「よくそれだけ長いこと休みが取れるね~、こっちでは恥ずかしくてよう取れんわ」と言われたのが印象的でした。

周りの目が気になって、恥ずかしくて取れない、という感覚なんですね。

 

そういえばうちの母も、赤ちゃんのおむつでいっぱいになったゴミ袋を捨てる際に、おむつばっかりだと近所に人に恥ずかしいからと、古新聞を混ぜて、いろんなゴミが混ざっているように見せていました。

赤ちゃんを抱っこして家の前を散歩している時も、近所の人に見られないように意識していたこともあります。いい年して孫に照れているのを見られるのが恥ずかしいのだとか。

この感覚は、田舎を離れてずいぶん経つ自分にはよく理解できません。

 

もちろん良い面もあって、近所の人が、野菜やお菓子、お惣菜を分けてくれる、ということが何度もありました。

 

良くも悪くも、地域のつながりが強い中で生活するというのを十分に味わった一カ月半になりました。

 

帰りしな、普段あんまり感情を表に出さない母親が、うっすら涙を浮かべていました。

また近いうちに、少し成長した孫を見せに行かないとなぁと思います。

 

 

 

 

 

育児生活8カ月

育児生活8カ月目に突入しました。

育休でこんなにのんびりと家族で過ごせる時間はこの先無いのかと思うと、なかなか寂しくなります。

 

先日、はじめておすわりが出来るようになりました。

座布団でガードしながら練習していた成果が出ましたね(笑)

急に出来るようになるものだから「あれ?出来てる!」とびっくりしました。

最初は10秒ほどのキープだったのですが、次の日からもう1分以上も出来るようになっていて、コツをつかめばあっという間。その成長の早さにも驚きです。

なんて濃い時間を過ごしているんだろう…。

座って遊んでいる姿を見て、ちょっとうるっときてしまいました。(最近、涙もろいです)

 

育休をとって帰省しているということを、地元の友達や親せきに話すと、一様に驚かれます。その後に決まってあるのが、やっぱり都会ではそういうのが進んでいるんだね、こっちでは周りの目があるから無理だわ、といった反応。

別に都会でも男性の育休取得は進んでいるわけではありませんが、それでも選択肢としてあったり、周りで取っている人、取ろうとしている人もいます。

こっちの方では、そういう選択肢自体が無いような口ぶりでした。「周りの目があるから」という理由も、田舎特有のもので難しい問題ですね。

 

久しぶりに長い期間地元で生活していると、人とのコミュニケーションのあり方がやっぱり都会とは異なることが実感でき、ずいぶん自分は都会に慣れてしまったんだなぁと思います。

狭いコミュニティで知り合いばかり、というのは安心ですが、周りからどう見られるかを気にしながら過ごすというのは息苦しい。

 

どういった環境で子育てをしていくのかも、そろそろ考えていかなければ。

 

はじめてのぎっくり腰

1週間くらい前のことです。

久しぶりの実家暮らし。

庭にある畑の土を耕したり、砂利を運んだりと普段ではなかなかしない手伝いをしていました。

 

一仕事終えて、疲れたからストレッチをしようと前屈の姿勢を取ろうとしたとき、

ピキッ

と腰に激痛が。

 

そして前にも後ろにも曲がらなくなってしまいました。

これが話に聞くぎっくり腰かと。四十前にしてついになってしまいました。

 

 

慌てて近所の整骨院で診てもらったのですが、程度によって数日で治る場合もあれば、数週間かかるケースもあるとのこと。

せっかく実家に戻ってきたのに、数週間動けないんじゃどうしようもないなと、暗い気持ちになりましたね。

 

座るのにも寝るのにも腰が痛いので、寄り掛かって立ったまま何もできません。

赤ちゃんの抱っこもおむつ替えもお風呂も、妻に任せっきりになってしまいました。

 

・・・

幸いなことに、一週間くらいたって、痛みはほとんど無くなりました。

普通に生活が送れるようになっています。

今回のことで、自分の頭の中のイメージと、身体の実際にずいぶんとギャップがあることを思い知らされました。

運動と体調管理、もっと真剣にやらないとまずいです。