Senobi

私立の中高一貫校で国語を教えています。国際バカロレア、子どものための哲学、ワークショップ型の授業づくりに関心があります。

ICT研修について

先日、学園全体の研修会があり、テーマがICTだった。

授業にどのようにICTが活かせるのか、授業見学を通して共有し、検討するのがねらいだ。

 

まず、全体としてICTの必要性を感じない授業が多く、その点で物足りなく感じた。

たとえば国語の授業では、プロジェクターを使って生徒の意見や疑問を黒板に示していたが、その結果生徒の発言する機会が減り、教師の説明や解説が増えていたように思う。

また、古典の授業では、本文をスライドで映して、品詞や語句の意味などを書き込んでいたが、教師が黒板に書くかスライドで投影するかの違いはあっても、品詞分解をして解釈し、理解させるという授業スタイルに変わりはない。

 

全員で共通のテキストを読み、教師が説明する授業スタイル、従来どおりの古典の授業スタイルを否定しているわけではない。

ただ、この授業スタイルのままであれば、別に無理してICTを使わなくてもいいよなぁ…と思っただけだ。

 

国語でICTを用いるメリットはどこにあるのか。いま使っていて、私が感じるメリットを思いつくままにいくつか挙げてみると、

・ウェブを使って、調べ学習の範囲が広がる

・書き直しがしやすいので、作文の抵抗感が減る

・友達とドキュメントを共有して、相互で推敲や編集ができる

・課題の提出管理が楽になる

・サイトや動画、音楽など、活字以外のテキストが扱える

・個人で取り組みたいテキストを選択できる(課題の個別化がしやすい)

・文章以外の創作ができる(写真を撮る、映像制作など)

 

ICTを授業で活用するためにら、テキストは教師が選ぶもの、課題は教師が設定するもの、といった発想を切り替えていく必要があるだろう。そうでなければ、その使われ方は限定的なものになる。

また、評価のための課題を多様化していくことも大切だ。定期テストと作文、といった評価スタイルだけでは、上手く活用されていかないだろう。

 

もう一つ、大事な発想の切り替えは、

出来ていない生徒ばかりに注目することを止めることだと思う。

 

たとえば、

授業中に課題と関係のない動画をYouTubeで観ている生徒がいたとして、

その生徒は注意されるべきであるが、

守れていない生徒がいるので全員YouTubeを禁止します、

というふうに学校では決定されがちだ(この文化は何だろう?)

本来ICTを活用し、YouTubeを使って高いレベルの学びができるはずの生徒がいるはずだが、全員にペナルティが科されることで、その機会が阻害されてしまう。

 

また、教師が一律でコントロールしようとすることで、失敗しながら学んでいく機会も奪われる。

 

該当生徒には個別に注意し、しばらくPCを預かるなどの対応をとり、他の(上手く使えている)生徒の自由をなるべく制限しないようにしたい。

過度に全員に許可する/しないという管理ではなく、もっと柔軟な指導が必要になってくる。

 

改めて思ったのは、1クラス40人授業であれば、講義中心の一斉授業が合理的だということだ。何というか、必然性がある。

 

授業の発想法を変えて、必要性があってICTを使っていくのか、

無理やり(外的要因によって)ICTを使っていくなかで授業の発想法が変わっていくのか、

自分の場合はどっちだっただろう。