Senobi

私立の中高一貫校で国語を教えています。国際バカロレア、子どものための哲学、ワークショップ型の授業づくりに関心があります。

学校内の「目標」について

これまで当たり前に思っていたことで、IBのカリキュラムで教えてみることで、疑問に思ったり、違う観点から考えられたりすることがよくあります。

例えば学校の「目標」について。

 

学校では、さまざまな目標が立てられます。学校としての教育目標の他に、学年ごとに学年目標があったり、クラスごとにクラス目標を決めたりします。

クラス目標は、生徒が話し合って決めることもあれば、担任が決めることもあります。

これまで私が目にしてきた目標は、ものすごく抽象的か、または逆にものすごく具体的なものがほとんどです。

 

ものすごく抽象的な目標は例えば「自主」「自律」「一生懸命」「ひとにやさしく」などです。

今でも覚えている私が中二の時のクラス目標は「BOMBER」でした。たしかみんなで弾けようぜ、みたいなノリで決まったと思います。

 

逆にものすごく具体的な目標というのは「あいさつをしよう」「忘れ物をしない」「チャイム着席」などです。

 

それに対して、IBでは学年やクラスごとに目標があるのではなく、10の学習者像というものがあり、教師生徒全員で共有しています。

10の学習者像は例えば「探究する人」「知識がある人」「振り返りができる人」など、コースを通してどのように成長してほしいか、どういう人間になってほしいかが一言で説明されています。

また、それぞれに短い解説がついています。「私たちは、好奇心を育み、探究し研究するスキルを身につけます。ひとりで学んだり、他の人々と共に学んだりします。熱意をもって学び、学ぶ喜びを生涯を通じてもち続けます。」(「探究する人」の説明)といった具合です。

 

私が興味深いと思ったのは、この10の学習者像が「そこそこ抽象的」であることです。

「自主」など極端に抽象的な用語だけで終わっていると、その解釈は人によってばらばらになります。何をすれば良いのがわかりづらく、行動にも反映しにくくなります。そうなると実際に達成できたかどうかを判断することは難しく、目標は言葉だけのものになってしまう可能性があります。

また、具体的すぎる目標であれば、生徒の行動ばかりに目がいってしまい、画一化した行動が目的化してしまうリスクがあります。

その点、IBの目標の立て方は、方向性は全員で共有し、どうやって達成するかはそれぞれの教師や生徒に任されているように思えます。

 

もちろん  どちらが良い悪いと断定的に言うことはできませんが、私にとってIBで教えていることは、これまでの学校のやり方を見直すことにつながっています。