Senobi

私立の中高一貫校で国語を教えています。国際バカロレア、子どものための哲学、ワークショップ型の授業づくりに関心があります。

第2回概念ベース授業づくり研究会

隔月で開催することに決めた、概念ベース授業づくり研究会。

2回目の今回、参加者はIB校の先生を中心に、9人でした。

とくにテーマを明確にせず、参加者の持ち寄った資料を見て、みんなで話し合うことをメインにしています。

 

(1)

先日私の授業見学にもいらした虎哲さんが、書いている論文を共有してくださいました。

 

「意見文を書く」という活動の中で、先生方が重視しているプロセスは何か、というのか最初の話題になりました。

・テーマを生徒自身が決めること

・「考えている」ことが伝わる書き方をすること

・感想文をやめること(僕は〜だと思います、という書き方をやめること)

・立場を示すこと

・事実と意見を分けること

・引用と出典の作法(Academic Honesty)

・アカデミックな言葉遣い

このように、各先生方からたくさん挙がったのですが、中学から高校にかけて、どのような順番で身につけさせていくのがいいか、という方略については、まだよく分かりません。

 

(2)

高校の教科書で「概念的な問い」をどのように扱うのか。

 

国語総合のある教科書で「時間」に関する問いが出ています。

こういった概念的な問いをどう授業に位置付けていくのか、話し合いました。

(例として挙げられた問いは、概念的な問いと言っていいのか、という別の疑問もありましたが)

例えば「時間」について高校生がどれだけ論じることができるんだろう、

どのような授業展開が可能だろうか、という話になりました。

 

高校教科書の目次には、概念的なキーワードが並んでいます。(言語、自然とか、近代、構造主義、とか)

あれって何だろうね?  というふうに話は広がっていきます。

人文系学問の代表的なテーマであり、大学入試に頻出のキーワード集のようでもあり。

ある先生は、例えば近代や構造主義について、テキストがなくても語れるようにさせたい、と話していました。

それも魅力的ですが、どれだけの高校生がそれを学ぶ必要があるのか、という気もします。

勤務校での実感としては、国語総合の教科書テキストが難しく、生徒のレベルと合っていません。

 

近代、構造主義といった概念的なキーワードは、知識による側面が大きいのに対し、

時間や自然といったキーワードは、仮に知識が少なかったとしても、少ないなりに考えることのできる概念だと思われます。

(もちろん、知識があればその分深く考えることができるでしょう。知識が不要というわけではありません)

 

例えば、小中学校から哲学対話の授業が成り立つように、目の前の生徒のレベルに合ったキーワードと問いを選んでいくことで、

それぞれの生徒なりに概念学習ができていくのだろうと思いました。(これは会の中のの発言ではなく、私の感想です)

 

IBでは、重要概念やグローバルな文脈の中で、「時間」はキーワードになっています。

他教科(例えば科学や歴史など)では時間という概念はどう扱われているか、そして文学作品ではどうか、などを考えさせるのも良いのではないか、という発言もありした。

 

その後は、私の勤務校の授業実践や年間シラバスを見て、意見交換。

 

どのように探究を完結させ、達成感や学びを実感できるようにするのか、

年間の中で、いくつくらい探究単元をするのか、

などを話し合いました。

 

2時間弱の研究会ですが、時間が足りない!

もっと話したいね、という感じを残しつつ、次回に継続です。