Senobi

私立の中高一貫校で国語を教えています。国際バカロレア、子どものための哲学、ワークショップ型の授業づくりに関心があります。

物語を書く課題

中学一年生に、物語を書く課題に取り組ませている。

今回の単元は「寓話を書こう」というタイトルで、あるテーマや教訓を設定し、それを読み手に感じ取らせるような物語を書いてみよう、という課題にした。

結果だけ先に言うと、これはあまり機能しなかった。

 

私はこれまで、二次創作やリライトの課題はよく出していたが、創作に取り組ませることはやったことがなかった。

創作をどう教えて良いか分からなかったからだ。

今回、ライティング・ワークショップの授業やIBのアプローチを学んだことをきっかけに、やってみることにした。

 

やってみて分かったのは、中学一年生の想像力や行動力は私の授業構想をはるかに超えていて、すぐに収集がつかなくなってしまった。

最初に設定した課題の趣旨が機能しなかったのはこのためだ。

 

設定が凝りに凝っていたり、

登場人物の変な名前を考えるだけで時間が来てしまったり、

哲学的なテーマを設定し、物語に落とし込めず止まってしまったり…。

みんなばらばらで、しかも頭の中にあるイメージと語彙力や文章力がかみ合っていないから、他人が読んでも理解できない物語がたくさん出来てくる。

一気に何千字も書き上げる生徒がいれば、最初のプロット作りで固まっている生徒もいる。

さて、これらをどうしようか。

 

ただ、生徒たちはとても楽しそうなのだ。

授業に行くとすぐ「先生、寓話書きましょう!」と言ってくる。

全員Chromebookで書いているのだが、共有して読みあったり、ネットで必要な情報を調べながら書き進めている生徒が多くいる。

 

改めて、教師の役割は何かを考えてしまった。

最後まで完成させることで、達成感を得られるようにサポートするのも教員の役割。

授業のねらいに即した学びを生徒に提供するのも教師の役割。

確かに私の授業のねらいがあり、ワークシートを配ったり、プロットに手を入れたり、条件を細かくつけていけばいくほど、ねらいどうりの作品が出来てくるだろう。

だけど、そのことで削がれるものも同時にあると思う。

 

ある時、授業の最初に、

「隣同士で、困っていること、上手く書けないところなどを相談してみて」

と促した。

そうしたら、多くの生徒が自分の創作過程について友達と話し、コメントし合い、一緒に考えるという活動が自然な形でできている。

弁論大会の時にも思ったけど、自分が苦労している分、親身になれるのだと思う。

 

ある生徒の悩みで、自分はプロットまで書いたんだけど、平凡で面白くない、という意見が出て、それをクラスで共有し、

「じゃあ『面白い物語』って何だろう?」とメタ的な話にまで思わず広がった。

こういう即興の展開は楽しい。

 

上手くできないからこそ、生まれてくるものがたくさんあると思う。

はじめの頃は、上手さやきれいにまとめることよりも、「書くのが楽しい」という気持ちを高めることができれば十分ではないか。

個々の難しい単元設定より先に、この点を意識したカリキュラム計画が必要だ。

 

楽しさやモチベーションを維持しつつ、失敗込みのプロジェクトにどう取り組ませていくか。

こんな授業設計に興味を持ち出したら、いよいよ深みにはまってきた気がする。