Senobi

私立の中高一貫校で国語を教えています。国際バカロレア、子どものための哲学、ワークショップ型の授業づくりに関心があります。

『理解をもたらすカリキュラム設計』とIBの単元づくりを比較する(2)

「逆向き設計」は当たり前?

前回のエントリーでは「教科書ベース」の単元づくりと「逆向き設計」を比較しました。

もちろん、「逆向き設計」などとことさら言わなくても、

目標や生徒に理解させたいことを明確に設定し、評価方法や学習活動、教材を選び、設計している先生方は多くいらっしゃいます。

そういう先生方にとっては、それこそ「当たり前」のことなのかもしれません。

 

思い返せば、教職課程で単元の作り方、授業の作り方を学んでいた時、当然のように教科書教材が先にありました。(教育実習の時も、指導担当の先生から、教材や範囲が指定されることが多いと思います)

 

もちろん、指導案を書く際には、単元の目標や授業のねらいを明確にすることが求められますが、

果たしてその目標やねらいは、どれだけ自分で考えられているのでしょうか?

教材内容を理解させることが目標になっていたり、学習指導要領のねらいをそのまま写したり、ということがままあるように思います。

 

「逆向き設計」を当たり前と思うかどうかの違いは、普段から目標やねらいを自身で考えているかどうかの違い、ということになるでしょうか。

 

私は、素晴らしいと思う実践にふれるたび「すごいなー、どうやったらこういう単元が作れるようになるんだろう」「なんでこんな授業ができるんだろう」と思っていました。

真似しようとしてもできない、その先生だからできるんだ、と思うこともしばしばありました。

でもそれは、完成した単元の結果だけ見ているから分からなかったのですね。

むしろ、その先生が何を大事にして、何を生徒に理解させたいと思ってその単元を設計したのか、そこを見ようとしなければならない。

 

IBの単元づくりや「逆向き設計」を学ぶなかで、そういう目標やねらいと、実際の授業展開や評価方法との関わりについて、少しずつですが見えるようになってきたと思っています。

(そういう意味でも、IBの単元づくりや「逆向き設計」を学ぶ意味はあるかと思います)

 

ゴールの設定

さて、「逆向き設計」ではどのようにゴールを設定するのか。

本書では「逆向き設計」の3段階が示されています。

 

1.求められている結果を明確にする。

2.承認できる証拠を決定する。

3.学習経験と指導を計画する。

 

この1段階目にある「求められている結果」がゴールです。

注意しなければならないのは、「知識」や「スキル」はここでいうゴールに当たらない、ということです。

教科書の内容を理解させることや、読むこと、書くことなどのスキルを身につけさせることは国語科単元のゴールとして、よく設定されます。

しかし、それは「逆向き設計」でのゴールには不適当です。

なぜなら「永続的理解(enduring understanding)」につながらないからです。

 

用語解説から見てみます。

永続的理解(enduring understanding) 教室を超えて持続する価値を持つような重大な観念にもとづく、特定の推論。(p.389)

本書では、このように、単元を超えて、教科の枠を超えて、転移するような理解の重要性について繰り返し述べられています。

そして、生徒がそのような「永続的理解」をするために重要になってくるのが、「重大な観念(big idea)」です。

この言葉の扱いが私にとって興味深いものでした。

 

重大な観念

本書に度々出てくるキーワードとして「重大な観念」があります。

こちらもまずは用語解説から。

重大な観念(big idea) 「理解をもたらすカリキュラム設計」において、カリキュラム、指導、評価の焦点として役立つような、核となる概念、原理、理論およびプロセス。定義からいって、重大な観念は永続的である。重大な観念は、特定の単元を超えて転移可能である。(略)重大な観念は、理解を構築する材料である。それらは、それらがなければバラバラであったような知識の点をつなぐことを可能にする意味のあるパターンとして考えられうる。(p.396)

生徒に「永続的な理解」をもたらすために、教師はまず「重大な観念」を設定すべきだというのです。

 

知識やスキルを網羅しようとすれば、教えなければならないことは膨大に増えていきます。そこで、教師がすべきことは「優先順位を決めること」だといいます。

私たちは慎重な選択をして優先事項を明示的に設定せざるをえない。何を教えるか(何を教えないか)を選んだら、学んでほしいことの中の優先事項が学習者自身にも分かるように支援しなくてはならない。私たちの設計は優先事項を明瞭に表示することよって、すべての学習者が次のような問いに答えることができるようにすべきである。ここで最も重要なのは何か? 諸断片はどのようにつながっているのか? 私は何に最も注意を払うべきなのか? (少数の)肝心な優先事項は何か?(p.78)

 この指摘は耳が痛い…。どうしても網羅的な授業をしてしまいがちです。

 

このように優先事項を決めるときに「重大な観念」を用いるようです。

引用が続きますが、「重大な観念」は、次のようなものとして説明されています。

・あらゆる研究において、焦点を合わせるような概念的「レンズ」を提供する。

・たくさんの事実とスキル、経験を関連付けて体系化することによって意味の広がりを提供し、理解の輪止め楔として役立つ。

・その教科についての熟達者の理解の中心にある観念を指し示す。

・その意味や価値は学習者にとってめったに明らかではなく、直観に反していたり、誤解されやすいものであったりするため、「看破」が必要である。

・転移する価値が大きく、他の多くの探究や長期的な論点に応用される―カリキュラムの中において、また学校の外において、「水平的」(教科横断)にも「垂直的」(その後の長年の科目)にも応用される。(p.82-83)

 

また、重大な観念は次のように顕在化するとも述べられています(例は省略)。

・概念

・テーマ

・進行中の論争と視点

パラドックス

・理論

・基底にある想定

・繰り返す問い

・理解や原理

このように、いろいろな形をもつようです。

『理解をもたらす―』では、教師が単元を設計する際、こういう「重要な観念」を明確に設定するように求められています。

 

IBとの違い

私が興味深いと思ったのは、

同じ「逆向き設計」でも、IBの単元づくりとは違いがあるんですね。

 

IBでは、単元を設計する際、最初に「重要概念」を選択します。

「重要概念」とは、単元や教科の枠を超えて、いろいろな場面で用いることのできる概念のことです。例えば「美」「変化」「コミュニケーション」など、IBのガイドには16の重要概念が選ばれています。

まず、重要概念を選び、それから、それをもとにして授業で理解させたいことを設定すると、ワークショップなどでは学びます。

 

IBでは「概念」の選択が最初にくる。

しかし、先にも見たように『理解をもたらす―』の場合は、必ずしもそうではないんですね。

「重大な観念」は、確かに概念的であるとは書いてありますが、その後の例を見ると、「概念」はたくさんある中の一つ。その中から「重大な観念」を自分で設定する。

 

IBのワークショップでは、「概念」とはbig ideaである、とかいう説明をされたこともあります。

big ideaの訳語の違い、指し示す範囲の違い、最初にもってくるものの違い、こうしたことが『理解をもたらす―』を読むことで、分かってきました。

 

比較してみると、同じ「逆向き設計」でも、IBの方が単元設計のスタートが窮屈な気がします。

『理解をもらたす―』で説明されているやり方は、自由度がとても高いように感じました。

 

IBの方では、全世界的に一定水準の授業を行わなければならないため、世界中のどの教師であっても概念的な単元づくりができるように、あえて自由度を狭めているのかもしれません。

たしかにそのメリットはあるでしょうが、一方で、概念を選ぶところから始めるやり方になじめない場合があることも事実です。

私自身、IBのいう「概念を理解させる」ってそんなに大事なの?って疑問に思うこともしばしばあります。

そんなときに『理解をもたらす―』で述べられているような広い意味での「重大な観念」であれば、多くの先生が納得し、受け入れやすいのではないかとも思うのです。

 

IB校のやり方を取り入れよう、という動きはあちこちで起こっていますが、「概念ベース」の単元づくりは、なじみが薄く、浸透するのに時間がかかりそうです。

また、「概念ベース」と「逆向き設計」がごちゃまぜで語られているケースもあるのではないでしょうか。

「概念ベース」がなじめないからと言って、IBではこうやるんだと強制されたり、または要件だけ満たせばいいんでしょと形骸化させてしまっては、本末転倒です。

 

今回『理解をもたらす―』を読んで思ったのは、big idea(=重大な観念)の指す内容がそれほど広いなら、「概念ベース」と「逆向き設計」を分けて考えるのも手ではないか、ということです。

もちろん、永続的理解をもたらすには概念的にとらえることは不可欠でしょうが、それはおいおい。

まずは、自分が単元を通して理解させたいこと、優先順位をつけること、それでさえできていない場合も多いわけですから、まずはそこから始めてみるのが良いかもしれません。

 

というわけで、今回の結論としては、IBのことは嫌いになっても、逆向き設計は嫌いにならないでください??