Senobi

私立の中高一貫校で国語を教えています。国際バカロレア、子どものための哲学、ワークショップ型の授業づくりに関心があります。

『理解をもたらすカリキュラム設計』とIBの単元づくりを比較する(4)

本質的な問い

「逆向き設計」では、「重大な観念」が大切なのですが、それを直接的に生徒に提示しても伝わらない、という話でした。

 

そこで登場するのが「本質的な問い」です。

最良の問いは、重大な観念を指し示し強調するものである。それらは、内容の中に存在してはいても、おそらくはまだ見られていないようなカギとなる概念、テーマ、理論、問題について、学習者が調査する時に通る門戸として役立つ。(p.129)

 

これまでの授業を振り返ってみると、発問の傾向がずいぶん偏っていたことに気づかされます。

ほとんどが、知識を問うような問い、教科書教材の内容に関する問いでした。

ここで使われている表現技法は何ですか。

(文章の一部を指して)これはどういうことですか、

この動詞の活用の種類は何ですか、

など、答えが一つになるような問いです。

ちなみに、このような問いは本書では「先導する問い(leading question)」と呼ばれています。知識について、教えたり、評価したりするための問いで、明確な答えがある問いです。

 

抽象度の高い問いとしては、

この文章のテーマは何か、筆者はどのようなことを言おうとしているか、

などでしょうか。

これでも教材ベースであることには変わりありません。

 

もちろん、生徒が教材の内容を正確に理解するためのプロセスは必須ですが、

単元がそれだけで終わるようではいけない、

生徒が「重大な観念」を理解するように促さなくてはならない、そういうことでした。

 

『理解をもたらす―』では、「本質的な問い」の特徴として、4つ挙げられています。

1.私たちの人生を通して何度も起こる重要な問いである

2.学問における核となる観念と探究を指している

3.生徒に重要だが複雑な観念、知識、ノウハウを効果的に探究し意味を捉えるのを助ける

4.特定の、かつ多様な学習者を最もよく参加させる

 

一つの単元で終わってしまうのではなく、教科を超えて、学年を超えて(または卒業してからも)何度も出会うような問いを立てるべきだと言っています。

個人的には4つ目の、「多様な学習者を最もよく参加させる」という表現が気に入りました。

よく授業では、クラス内のどのレベルに焦点を当てるか、ということが問題になりますが、問いの抽象度を高め、範囲を広くすることで、いろんなレベルの生徒が、自分なりに取り組める可能性が出てきます。

 

「本質的」かどうかチェック

 単元で扱いたい問いが「本質的」かどうか、これは「どの程度、この問いは、[次のことを]しようてしているのか?」をチェックすることで分かる、と説明されています。

(この、質をチェックするための問いを事前に用意しておく、というアプローチはいかにも海外だなぁ、という気がします)

1.重大な観念と核となる内容について、正真正銘のレリバンスのある探究を引き起こす。

2.深い思考、活発な話し合い、持続する探究、新しい理解、そしてまたより多くの問いを生じさせる。

3.代替案を熟考すること、証拠を比較考量すること、自分の考えを裏づけること、および答えを正当化することを生徒に求める。

4.重大な観念、想定、先行する授業について、活発で継続的な再考を促す。

5.先行する学習と個人的な経験との、意義深い関連付けを引き起こす。

6.自然と繰り返し起こり、他の状況や教科へ転移する機会を生み出す。(p.132)

 

IBでは3種類の「探究の問い」

一方、IBのカリキュラムでは、単元で用いる問いを3種類に分け、バランスよく取り入れるように推奨されています。

それぞれ、事実的問い、概念的問い、議論的問い、といいます。

古典の授業を想定して、3種類の問いを見ていきましょう。

 

「事実的問い」

答えが一つに決まるような問いです。『理解をもたらす―』でいう「先導する問い」と同じでしょうか。

例)平安時代の恋愛作法はどのようなものか。

  男女のコミュニケーションは「竹取物語」の中でどのように描かれているか。

 

「概念的問い」

単元の中で鍵カギとなる概念について探究するための問いです。『理解をもたらす―』で言えば「重大な観念」にアプローチするための問い、ということになるでしょう。

ここでは「コミュニケーション」という概念をカギにしています。

例)時代によってコミュニケーションの方法はどう変化したか。

  コミュニケーションの方法に普遍性はあるか。

 

「議論的問い」

意見が分かれ、話し合いにつながるような問いです。トピックに対する問いでも、概念的な問いでも両方できます。

例)平安時代の女性の生き方は幸せと言えるか。

  男女のコミュニケーションは今後どのように変化していくか。

 

 

このように、様々な階層の問いを計画段階から準備し、生徒の探究や概念的理解を促そうというのです。

 

両者を比べてみると

問いに関しては、『理解をもたらす―』で述べられている内容と、IBの単元づくりには共通性があります。

どちらも、抽象的な(概念的な)問いを重視している、ということです。

 

国語の授業においては、まだまだ教材内容の理解や知識の網羅が授業のねらいになりがちで、授業中の発問もそれに即したものになっています。

 

それによる弊害は、本書では次のように述べられています。

内容を網羅しなくてはならないのだと主張する教師たちが、真に知的な問いには単に口先だけの同意を示すだけで、絶え間なく先延ばしにし続けるとすれば、ひどい代価を支払っていることになる。先導する問いが限りなく続くことで、ほとんどの生徒の問いは次のようないくつかの馴染みのあるものへと縮減されてしまうだろう。すなわち、「これはテストに出るのか?」「これが、あなたの求めていることなのか?」「このレポートはどれぐらいの長さでないといけないのか?」である。(p.148)

いやー、耳が痛いですね。

 

IBの単元づくりをいきなり実行することはハードルが高いでしょうし、

「逆向き設計」のための準備にも時間がかかります。

その時点で、興味がわかなかったり、嫌になってしまう人もいるかも…。

 

ただ、今回取り上げたように、問いの抽象度を上げるアプローチだけであれば、それほどできなくはないと思うのです。

 

IBの用語で言えば、「事実的問い」だけで単元を組むのではなく、どこかで「概念的問い」や「議論的問い」を生徒に投げかけ、学習活動につなげる。

『理解をもたらす―』の言い方であれば、「先導する問い」だけで終わるのではなく、「本質的な問い」を入れていく。

まずはこれを試すだけでも、生徒の反応は変わるでしょうし、単元づくりの幅が広がるのではないかと思います。