【読書】『絶望名人カフカの人生論』暗いときには暗い本を読む
毎日家に閉じこもり、不安なニュースばかり観ていると気分がどんどん塞いできます。
「ピンチをチャンスに」「みんなで力を合わせて乗り越えよう」そういうポジティブな言葉に、どうも乗り切ることができません。
そんな時は、無理やり明るくふるまおうとせず、暗い本でも読みながらやり過ごすのも手です。
というわけで、カフカ(頭木弘樹編訳)『絶望名人カフカの人生論』(新潮文庫)を読みました。
もとになっているのは、カフカの小説のほか、たくさんの手紙や日記。
これを読むと、カフカが、仕事、人間関係、結婚、あらゆることにネガティブだったことがよく分かります。
自意識過剰、悲観的な人は世の中にたくさんいて、自分もその性質はあると思いますが、カフカのそれは並大抵ではありません。
どのページでもいいのですが、少し拾ってみると、
ぼくはひとりで部屋にいなければならない。
床の上に寝ていればベッドから落ちることがないように、
ひとりでいれば何事も起こらない。
幸福になるための、完璧な方法がひとつだけある。
それは、自己のなかにある確固たるものを信じ、
しかもそれを磨くための努力をしないことである。
全編こんな感じで、カフカのネガティブな言葉が並びます。
あまりに途方もないので、読んでいると逆に笑えてきて、「カフカに比べたら自分の悩みなんで大したことないな」なんて感じてしまうのがこの本の特徴です。
この本のもう一つの読みどころは、一つ一つの言葉に添えられた、訳者頭木さんの解説(ツッコミ)です。
二〇世紀の詩人オーデンは「見る前に跳べ」と言いましたが、たしかに行動を起こすためには、それが大切です。
でも、カフカの場合、そんなことは決してしません。「見てから跳ぶ」どころか、「見続けるだけで、決して跳ばない」のです。
といった具合に、愛がありつつ突き放した筆致がカフカの言葉をより味わい深いものにしていきます。
訳者の、あとがきにあったエピソードも印象的でした。
中学生の夏休み、読書感想文を書くための本を探に、街の書店へ。
文庫のコーナーをながめていると、びっくりするほど薄い本が。
思わず手にとって、これこそ救いの神と喜んで、そのままレジに。
それがカフカとの初めての出会いでした。
もし新潮文庫のカフカの『変身』が、それほどまでに薄くなかったら、カフカとは出会っていなかったかもしれません。
人生を左右する出会いというのは、それにふさわしい重みを持つとは限らず、ときには、こんなにも軽いものなのでしょう。(文庫版訳者あとがきより)
何が人生を決めるか、わからないものですね。
さて、ネガティブなことを言いつつも、カフカは何もしなかったわけではなく、(生きている間は認められませんでしたが)小説を書き、冷静な眼で言葉をたくさん書き残しています。
生きることは、たえずわき道にそれていくことだ。
本当はどこに向かうはずだったのか、
振り返ってみることさえ許されない。
彼は彫像を彫り終えた、と思い込んでいた。
しかし実際には、たえず同じところに鑿を打ち込んできたにすぎない。
一心に、というより、むしろ途方にくれて。
というような印象的な比喩は、読んでいて心に残ります。
ぼくは同級生の間では馬鹿で通っていた。
何人かの教師からは劣等生と決めつけられ、
両親とぼくは何度も面と向かって、その判定を下されと。
極端な判定を下すことで、人を支配したような気になる連中なのだ。
馬鹿だという評判は、みんなからそう信じられ、
証拠までとりそろえられていた。
これには腹が立ち、泣きもした。
自信を失い、将来にも絶望した。
そのときのぼくは、舞台の上で立ちすくんでしまった俳優のようだった。
といった世間に対する冷静な観察眼は、現代でも十分通用する批評になっています。
驚くのは、カフカはこれらの言葉を、世に公開するつもりはなかった、それどころか死んだら焼却してくれと、親友に頼んでいます。
頼まれた親友ブロートは、その遺言に従わず方々手を尽くしてカフカの原稿を世に出します。(これは本書の中で数少ない、胸が熱くなるエピソードです笑)
この本は、読みやすくてとっても面白いのですが、それにつられて一気読みすると「薬が効きすぎて」ほんとに落ち込む可能性も。ほどほどに読んでいくと良さそうです。