字を書く指導はこれからどうなるんだろう
先日は字をきれいに書くための本を紹介しましたが、この「字をきれいに書く」ということは、学校教育の中で今後どれだけ求められるのでしょうか。
「本を読みましょう」というのは、教師みんなが積極的に生徒に伝えていると思いますが、「字をきれいに書きましょう」というと、なかなかそう言えない先生も多いのではないでしょうか。現に、日常のメモであっても手で書きたくないという人は、私の周りにも大勢います。
このように手書きが敬遠される状況のなかでは、「まぁ、なるべくならきれいに書けた方がいいよね」くらいに弱いメッセージになってしまいます。
もともと、漢字の字形を正しく覚えるための指導と、字を整えて美しく書くための指導がごちゃ混ぜになっているということもあります。
例えば、ある範囲の漢字を10回ずつ書く、という課題があるとします。
これは、整った字を書くことを目指し、お手本をもとにした臨書という課題であれば有効な方法です。整った字を書くためには、何度何度も書かなければなりません。
しかし、字形を覚えるための課題だとすれば、非効率的だと言えます(知っている漢字も何度も書かなければならない、など)。最初に小テストなどをして、書けない漢字だけを何度か書いて、また小テストで確認する、といった方法の方が記憶に残りやすく、効率的です。
さらに、ICTの利用が問題をより複雑にします。
ICTの設備が整ってくると、先生が黒板に書いて説明して、それをノートに写す、という授業形態が変わってきます。
授業中のメモなどもPCでとるようになるでしょう。
その流れの中で、手書きのノートを作る意味がどれだけあるのか。
ましてや、手で「きれいな字」を書く意義を、どのように生徒に伝えていったら良いのか、難しいです。
「なぜ古典は必要か」とか、「学校で文学を教える意義は何か」といった議論がなされますが、同じように「手書きの機会が失われていく中で、なぜきれいな字を書く必要があるのか」という話し合いをもっとしたいです。
個人的には、「きれいな字を書く」というのは、上手に歌が歌える、絵が描けると同じように、芸術分野として、国語と切り離していくのが良いかと思います。
現行のカリキュラムでは中学校は国語の一部としての「書写」ですが、高校からは芸術科目としての「書道」です。
小中学校の漢字教育、書字教育においては、前述したように「正しい字形を書く」という目的と、「整えて美しく書く」という目的を切り離し、課題や指導の意図を生徒に明確に理解させる必要があるでしょう。
漢字テストなどで、ハネていないからバツ、はらっていないからバツ、などと教師に採点された経験から、漢字を嫌いになる生徒がいます。
正しい字形を書くことが目的の漢字テストであれば、部首が違う、点画が足りない、などの場合は正しい字形を書いていないわけですからバツになりますが、
ハネていない、はらっていないなどは、字の美しさの問題で、誤字とは呼べません。
一方で、整えて美しく書くことが目的の課題であれば、
伝統的にハネた方が、はらった方が美しく見える、などと明確に指導していくことが大事です(その場合、バツにするのではなく、この方がより美しく見える、というポジティブな言い方が良いと思いますが)。
最初から美醜込みで厳しく採点するのではなく、まずは正しい字形を知ること、
その上で、少しでもきれいな字が書きたいと生徒自身が思うような、段階的な指導の方法を考えていきたいです。