Senobi

私立の中高一貫校で国語を教えています。国際バカロレア、子どものための哲学、ワークショップ型の授業づくりに関心があります。

オンラインミーティング三昧の一日

今日はオンラインで三つのイベントがありました。

 

1つ目、オンライン哲学対話。

先週に引き続き、2回目の実施です。クラスルームで告知し、自由参加の哲学対話を行いました。

教員、耳だけ参加を含めて7人で行いました。

前回はテーマを決めずにフリートーク中心だったのですが、今回は少しテーマを絞って話してみることにしました。

生徒からもらったテーマの1つは「9月入学について」。

高校3年生の生徒も参加してくれましたが、入試改革で共通試験がどうなるかもはっきりせず、それに加えて今回の9月入学の議論で、そうとう不安を感じているようでした。

その子は、もっと複数の可能性を考えていくつかの案を示してほしい、と言っていました。本当にその通りで、何もできない自分を歯がゆく思います。

もう1つのテーマが「3日後に死ぬとしたら何をするのか」というもの。

これは重いテーマなので生徒の積極的な発言はありませんでしたが、参加した教員同士で、思ったことを話し合いました。(生徒は教員のやりとりを聞いていて、ときどきチャットで感想をくれる)

このような大人の話し合いの姿を見せられるのは、オンラインではやりやすく、メリットかなと思います。

 

2つ目、国語科談義。

これは前からやりたかったのですが、国語科の先生が数人集まって話し合い、

生徒はラジオ番組みたいに聞いていて、チャットでコメントする、というものです。

今日は哲学対話の後半で、もうそれっぽくなっていたので継続して話し続けたのですが、とくにテーマを決めずに思いつくままに対話していきます。

今回話題にのぼったのは、

死について、東洋と西洋の死生観、映画や文学で死がどう描かれたか、小説を読み終わった後に感じる断絶、読後感について、なぜ二次創作をするのか、書かれていないことを想像する楽しさ、文学作品と映像作品の違い…

みたいな内容でした。

話している途中で、生徒からチャットで感想が届いたりして、それをもとにまた話をふくらませたりしていきます。

普段同じ教科の先生でも、こういった話をゆっくりする機会はないので、相手の自分にはない考え方が知れたりして興味深いです。

授業中の雑談や脱線話だと、どうしても自分の知っていることや考えていることを生徒に語ってきかせる、という形になりますが、

このように先生同士の対話を直接生徒に届けることができるのは面白いなと感じました。

オンラインで、ライブ配信みたいな形で定期的にやってみたくなりました。

 

3つ目、オンライン飲み会。

これはプライベートで、哲学対話の仲間の先生たちと集まりました。

初のオンライン飲み会です。

近況を報告し合ったり、今後の企画について話し合ったり、こちらもあっという間に時間が過ぎていきました。

 

しばらく一人で生活しているので、久しぶりに人と思いっきり話した一日になりました。

最初の哲学対話でも生徒と話したのですが、

オンラインで話し終わってPCを閉じると、普段よりも寂しく感じますね。

飲み会後、じゃあねと別れて、電車に乗って帰宅し、静かな家に帰る。

この一連のプロセスがないために、一気に静かな部屋になるので、そのギャップが激しい。

生徒も、オンラインミーティングの後は虚無感がすごいと表現していました。