Senobi

私立の中高一貫校で国語を教えています。国際バカロレア、子どものための哲学、ワークショップ型の授業づくりに関心があります。

【読書】『ケーキの切れない非行少年たち』

話題になっている本をようやく読むことができた。

ケーキの切れない非行少年たち (新潮新書)

ケーキの切れない非行少年たち (新潮新書)

  • 作者:宮口 幸治
  • 発売日: 2019/07/12
  • メディア: 新書
 

 

筆者は児童精神科医で、医療少年院での経験が本書を書く動機になっているという。

そして筆者自身も述べているように、書かれている内容は、多くの学校で実際にありうることだと思う。

 

筆者が問題視しているのは、見過ごされている発達障害・知的障害の子どもが多くいるのではないかということだ。

非行少年の中には、障害があるにも関わらず、適切なフォローがされないまま「放置」され、小学校のごく早い段階で勉強につまずいている子がいるという。

そして「やる気がない」などと本人の努力のせいにされ、適切な認知能力やコミュニケーション能力を伸ばす機会を失ったまま、犯罪に走ってしまうことがあるのだそうだ。

軽度の知的障害(IQ70~84、境界知能と呼ばれる)はおよそ14%いるという計算も紹介されていて、おどろいた。

 

筆者は、非行少年の特徴として次の5点+1を挙げている。

・認知機能の弱さ……見たり聞いたり想像する力が弱い

・感情統制の弱さ……感情をコントロールするのが苦手。すぐにキレる

・融通の利かなさ……なんでも思いつきでやってしまう。予想外のことに弱い

・不適応な自己評価……自分の問題点が分からない。自信がありすぎる、なさ過ぎる

・対人スキルの乏しさ……人とのコミュニケーションが苦手

+1身体的不器用さ……力加減ができない、身体の使い方が不器用 (p.47)

 

これを読むと、つい自分の受けもっている生徒の姿を想像してしまうのだが、もちろん安易にレッテルを貼ってはいけない。が、このような視点で生徒と向き合うことが、学校の中では少ないことも事実だ。

 

勉強が出来ない生徒、宿題をやってこられない生徒、よく忘れ物をしてしまう生徒を、怠けている、意識が低い、などして切り捨ててはいないだろうか。

生徒個人の責任にしておけば、教師としては「サボるなよ」「次は忘れないように」などと言うだけで済むのでラクだ(そして忙しさを理由に、ついこの対応をしがちである)。

しかし、このやり方では生徒個人と向き合っているとは言えない。仮に本当に怠けていたとしても、その選択肢はいったん括弧にくくって、別の対応を考えていく必要があるだろう。これは自戒をこめて書いている。

 

もう一つ、思わず自分をふり返ったのは「褒める教育だけでは問題は解決しない」という部分だ。

ここ数年、哲学対話などの実践に取り組んできて、私自身ずいぶん生徒の話を「聞ける」ようになってきた。

一方で、生徒の話を聞いたはいいが、解決のための具体的な方法を考えたり、問題が解消されるところまで一緒に付き合ったり、というところまでの余裕はなく、聞きっぱなしで終わり、ということがしばしばあった。

また、聞きすぎる、という弱点もある。同情的になってしまい、指導すべきところをゆるめてしまう。結果的に子どものためになっていない。

“褒める””話を聞いてあげる”は、その場を繕うにはいいのですが、長い目でみた場合、根本的解決策ではないので逆に子どもの問題を先送りにしているだけになってしまいます。

 例えば、勉強ができないことで自信をなくしイライラしている子どもに対して、「走るのは速いよ」と褒めたり、「勉強できなくてイライラしていたんだね」と話を聞いてあげたりしても、勉強ができない事実は変わらないのです。根本的な解決策は、勉強への直接的な支援によって、勉強ができるようにすること以外では有り得ません。 (p.123)

このあたりの記述は耳が痛かった。

 

では、教育現場でどのように支援するのか。

筆者は、短い時間で行うトレーニングを紹介している。

「コグトレ(認知機能強化トレーニング)」と言うそうだが、図形を写したり、想像したり、単語を覚えたりといった、5分でできるようなトレーニングを継続して行うだけでも効果があると述べている。

たしかに、自分の国語の授業を考えてみても、こういう基本的な行動を生徒任せにしていることが多かった。たいていの生徒は自分でできるのだが、そうでない生徒もいる。そしてその子たちへのフォローが不足していたのではないか。

面白い授業を、探究的な授業を、と発展的なことばかり考えていて、こういう土台となる部分への指導がおろそかになっていては本末転倒だ。

 

誰も置いていかない教育を、と考えたときに、大事な視点をくれる一冊だった。