Senobi

私立の中高一貫校で国語を教えています。国際バカロレア、子どものための哲学、ワークショップ型の授業づくりに関心があります。

国際バカロレア「言語と文学」での古典の扱い(2)

先日の記事では、国際バカロレア(IB)「言語と文学」の科目で教材となる作品をどのように選ぶか、その概要や要件を紹介しました。

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※記事の中で科目名を「言語とコミュニケーション」と書きましたが、「文学とパフォーマンス」の誤りです。記事の中ではすでに訂正してあります。

 

試験の内容が大きく違う

センター試験や国内の大学入試での「古典」は、初見の古文・漢文を読み、その内容理解が中心となります。

そのため、どのような文章が出題されても対応できるよう、古典文法や古文単語などの知識、理解が求められます。

 

一方、IBの最終試験(ディプロマ取得のための試験)では、一科目ごとに複数の試験、課題があります。

その中には初見問題もありますが、授業で扱った作品をもとにして解答するものもあります。

 

例えば「比較小論文」という試験の場合、授業で扱った複数の作品を比較しながら、問いに答えるという論述試験です。

世界中のさまざまな学校が、異なる作品を学んできているため、試験問題は作品ベースではなく、どの作品でも対応できるような抽象度の高い問いが選ばれます。

例えば、登場人物の変化や成長について、作品に描かれる愛や死について、授業で学習した作品をもとに論じなさい、という具合です。

 

他にも、自分で問いを設定して書く小論文や、口述試験、場合によっては二次創作などを最終試験に含めることもできます。

 

このように多様な試験に向けて、授業で学習したどの作品をどの試験に用いるか、などを教師と生徒は話し合って決めます。

 

授業の学び方が違う

このように、向かう試験のスタイルが異なるため、授業での学び方も大きく異なります。

 

一般的な高校の授業の場合、教科書を使って様々な作品に触れながら、古典文法や古文単語を覚えていき、初見の問題にも対応できるように学んでいきます。

 

IB授業の場合は、扱う古典作品の数は多くありません。DP(ディプロマプログラム、高2、3年にあたる)の2年間で、1、2作品というところでしょう。

作品の読解は通読が基本です。

もちろん作品そのものを深く理解するためですが、最終試験での論述に耐えうる量を読む必要がある、という事情もあります。

 

先生によって扱う作品も授業方法も様々ですが、私の見聞きした限りでは、本文をパートごとに生徒やグループに割り当て、発表したりディスカッションしたりする、ゼミ形式の授業が多いように思います。

 

IBの古典学習で重視されること

授業で重視されるポイントも変わってきます。

 

※ここから先の学習方法は、あくまで一例です。IB全体が決まった学習方法をとっているわけではありません。

 

例えば、初見の古文を訳すという試験がないため、文法知識を完璧に覚えたり、単語帳を使って古文単語を暗記したり、という勉強はあまり行いません。

もちろん、文法や単語についてはある程度学習しますが、必要に応じて参照する、という勉強スタイルです。

 

読解についても、辞書を引きながら訳す場合もあれば、現代語訳を配って同時に読んでいったり、インターナショナルスクールなどでそもそも日本語の学習自体に難しさがある場合は、現代語訳だけで学習したりもするそうです。

 

では何が重視されるかというと、それは書かれてある内容や、作者のもの見方、作品の時代背景や文脈です。

IBの場合、「古典を読む」ことそのものが単元の目標にはなり得ません。

その作品を取り上げる、教師の意図があります。

それは例えば、時代による愛の描かれ方の違いを探究したい、ということであったり、

社会制度によって人のものの見方はどう異なるのか生徒と一緒に考えたい、というようなことです。

そのような概念や探究をベースにした授業のねらいが最初にあり、それを学習するにはこの古典作品を読むのかふさわしいから、古典作品が教材として選択される、という順番です。

 

もちろん、これはIBに限らず日本の高校でも同じことだろうと思います。

ただ、教科書が先にあったり、模試や入試のスタイルが固定化しているので、それが見えにくくなっているのではないでしょうか。

 

教師の独自性

以上見てきたように、IBの場合は、教える先生の独自性がかなり強くなるのが特徴です。

カリキュラムを組む際の条件や、実施する上でIB協会の要求もいろいろありますが、教材選びから授業スタイルまで、教師の自由度はかなり高いです。

その分、個人の責任は重くなりますが、その先生が自分のポリシーに則って授業を設計していれば、横並びである必要がないのです。

 

先日の記事では、作品選択の条件として、3つの時代の作品を選ぶ、というものがあると紹介しました。

ただ、その時代というのも、世紀で考えればいい、というのがIBの見解です。

ですから、あるねらいをもって平安文学を授業で扱いたい先生はそうすればいいし、

19世紀以降の文学だけを扱ったカリキュラムを組む先生がいても良い、というのがIBのやり方です。

 

もちろん、それぞれのやり方に長所や短所がありますので、次はその辺りについても書いてみたいと思います。