Senobi

私立の中高一貫校で国語を教えています。国際バカロレア、子どものための哲学、ワークショップ型の授業づくりに関心があります。

今週の名文(7)

ラップは「日常の描写」なので、怒りや不満などの気持ちを表現しやすい。格差が拡大する中で生きている世界の若者たちが、ヒップホップに魅せられるのは当然です。ガザやマニラの若者もラップをするように、日本でも盛り上がっています。かなしいかな、格差が広がり、いよきのヒップホップが似合う国になったということでしょう。


◯音楽ライター荏開津広6月14日朝日新聞より)

日本語ラップの歌詞は前から授業で使いたいなと思っていた。

ちょうど卒業論文日本語ラップをテーマにした生徒がいて、いろいろ話しているとやはり面白い。

時代によるモチーフの変遷とか、どのように社会を反映しているかなど。

そこ生徒の分析では、とくに日本語ラップの場合は、本場アメリカなどのように攻撃的な社会批判を含んでいない、という内容だったが、最近ではそれも変わってきたのかもしれない。



私が「考える」ことを通して手に入れる自由を強調するのは、現実の生活の中では、そうした自由がほとんど許容されていないからであり、しかもそれは、まさに考えることを許さない、考えないように仕向ける力が世の中といたるところに働いているからである。だから、自由になるためには「考えること」としての哲学が必要なのである。


◯梶谷真司『考えるとはどういうことか 0歳から100歳までの哲学入門』(幻冬社新書)前書きより。

教師は「よく考えろ!」というくせに、考え方ることそのものを学校で教えない。むしろ考える機会を奪っている、という問題意識に強く共感する。

考えることが自由になるために重要なのだとしたら、学校はなんて不自由な空間なのか。

だからこそ、哲学対話などの風穴を開ける活動の意味がある。