【読書】『なぜ人と人は支え合うのか』「障害」からコミュニケーションのあり方を考える
内容を全然確認しないまま、哲学入門書のようなものを勝手に想像していましたが、違いました。
障害者とどう関わるか、をテーマにした本です。
著者は、最近映画にもなった「こんな夜更けにバナナかよ」を書いた方。
ノンフィクションライターである著者が、障害者や介助者の取材を通して見聞きしたこと、考えたことをまとめています。
また、歴史的に障害者がどのように苦労し、権利を獲得してきたかや、相模原で起こった障害者殺傷事件についてどう考えるか、など、重たい内容が扱われています。
だからといって、この本自体が重苦しいわけではありません。
もちろん重大なテーマを扱っているのですが、読み終わると、もっとこのテーマについて深く学んでみたい、と前向きな気持ちになれる本でした。
なぜそんな気持ちになれたのか。
ひとつは、筆者の立ち位置です。
もともと筆者は障害者とは何の関わりのないライター生活を送っており、障害者のことを取材するようになったのも偶然です。
ですからこの本では、
障害者と話すとき、変に緊張してしまうけれどそれはなぜだろう?
みたいなところから書き始めています。
そのことで、読者の参加のハードルを下げているように思います。
また、著者はできるだけ中立であろうとします。
障害者を特別視するのでもなく、当然排除するでなく、
また障害者は常に支えられる側ではなく、実は健常者も障害者に支えられていることをふまえながら、支え合いの社会の在り方を模索していきます。
もうひとつは、紹介される障害者の方の個性です。
著者が取材した様々な方が取り上げられていますが、その言動やエピソードがとてもユニークで、気づかされることがたくさんありました。
たとえば、ALS(筋肉を動かす神経の障害)のみきおさん。介護者の方と「口文字」を使ってのコミュニケーションの様子が紹介されます。
四肢まひの障害がある天畠さんは、「あかさたな話法」という方法でコミュニケーションをとります。
脳性まひの新田さんは、「足文字」を使います。
このように、障害といっても様々で、できることが異なるわけですから、周りの人とのコミュニケーションの方法も違ってきます。
言われてみると当たり前のことですが、この本を読むまで、こういうことに思いが至っていませんでした。こんな方法があるということも知りませんでした。
中でもやはり本のモデルになった鹿野靖明さん、ご本人と、その介助者の方々のやり取りが強烈です。
障害者というと、どうしても社会的弱者のイメージになってしまいます。また、その
弱い存在を介助者が支える、という見方をしがちです。
鹿野さんは、その固定概念を打ち破ります。自己主張が激しく、介助者に遠慮しません。
その結果、ぶつかり合ったりするのですが、その結果、一方的に「支える→支えらえる」の関係性ではない、人と人との対等な関係性が生まれてくるのだと、著者は見ています。
私が思い出したのは、映画「最強のふたり」でした。
車いす生活を送る大富豪フィリップと、その介護の仕事についたスラム街出身のドリス。ドリスは相手が障害者だからって遠慮しないで、やりたいことをやります。その結果、フィリップも次第に心を開いていく。
立場は逆ですが、特別視しない、というところに共通点を感じました。
他にも、
「介助者」と「介護者」、「障がい者」をどう表記するか(このPCでは第一変換は「障碍者」でした)といった言葉の問題、
国内でどのように福祉が成立してきたか、
障害者の「自立」をどう考えるか、など、
様々な観点が新書に盛り込まれています。
障害について、それとコミュニケーションについて考える上で、とても良い一冊だと思います。