Senobi

私立の中高一貫校で国語を教えています。国際バカロレア、子どものための哲学、ワークショップ型の授業づくりに関心があります。

小論文の型をどう扱うか

DP(ディプロマプログラム)コースの生徒の小論文指導のために、少しだけ授業に顔を出した。
生徒と担当教師は実際に教室にいるが、私だけオンラインで参加、という形。
こういう授業の入り方ができるのは面白い。

DPの最終試験は11月にあるのだが、その前に夏にMOCK Exam(模擬試験)がある。
今はそれに向けた小論文の練習中だ。
DPの試験では、2時間をかけてその場で小論文を書く試験がある。
2000字程度が基本で、3000字弱書く生徒もいる(字数制限はなし)。
そのため、最初の文章構想が大切だ。

生徒たちの様子を見ていると、テクストの細部に注目して分析することや、そのテクストのテーマや目的について自分の意見を考えることはできてきた。
つまり、小論文のパーツをそろえるところまではできるようになってきた。
一方で、それらを秩序立ててまとめること、全体の構成を組むことが苦手なようだ。

それができていないので、時には論じきれないくらいの大きなテーマになってしまっていたり、逆に瑣末なところにずっととどまっていて論が進まない、ということがある。

採点していても、どこが中心となる意見で、どの分析がそれをサポートしているのか、読んでいて、生徒の意図している構成が読み取れない。
IBの示す評価基準には「構成」があり、全体の1/4程度の採点上の大きなウェイトを占める。
このままでは良くない。

先週のうちに、私の作成したサンプルの答案をもとにして、私がどのような構成を意図したかを説明し、一度その型のとおりに(その型に当てはめて)小論文を書いてみるように課題を出した。
今日はその答案を読み合ったのだが、構成のテンプレートがあったために、一気に読みやすい小論文になっていた。
型の力は大きい。

さて、型はとても便利であるが、そのぶん生徒の思考錯誤の機会を奪うことにもつながりかねない。
文章構成を自分で考えなくなってしまう。
最初からこの型に当てはめて書いてみよう、というのは違う気がする。
それまでいろいろ書いてみて、どうもうまく書けない、どうしたらもっと読みやすくなるのか、そのもやもやがあった上で、
他の人の文章の型を真似してみよう、となるのがいいのではないかと思う。

今回、模擬試験も近いので型を教えたが、はたしてこのタイミングが適切であったのか。
このまま、一つの型を使い続けるのではなく、いずれは、自分の論に最適な構成を自分で考えられるようになってほしいが、型からオリジナルへの飛躍はどのようにするのが良いか。
使いやすいからこそ、型の扱いは難しい。