Senobi

私立の中高一貫校で国語を教えています。国際バカロレア、子どものための哲学、ワークショップ型の授業づくりに関心があります。

今週の名文(19)

僕は負けてもいいから自分の信じるとおりにやろうと決断し、半年かけてロゴを作り替えました。そして花柄をストライプに置き換えたデザインを提出しました。

  グラフィック・デザイナー 松永真

 

9月15日の朝日新聞に載っていたデザイナー松永さんの話が面白かった。

1986年、ティッシュメーカー「スコッティ」のパッケージデザインの国際コンペに参加した松永さん。条件は花柄であることと、決まったロゴを使うことでした。

しかし、なぜ生活必需品のティッシュ箱が花柄でなければいけないのか、どうしても納得できなかった松永さんは、落とされるのを覚悟でストライプで提出します。

条件に合っていないため得点は低かったそうですが、1次審査、2次審査と、審査員も落とすのをためらい、決勝に。最終的に社長決裁で優勝が決まったそうです。

ときには自分の直感を貫くことが大事。このデザインは今も引き継がれています。

 

 

書くということは、難しいことではないのです。書は墨を含んだ筆を運ぶだけ、ただそれだけのことです。

  書家・青木香流

 

『生誕100周年 青木香流書展』図録に出ていた言葉。

作為を抜きに、この「ただ書く」というのがどれだけ難しいか。いい作品を作りたい、人によく思われたい、この意識が入るととたんに力んで失敗する。

どれだけやったらこの境地に行けるんだろう。

 

 

物語は、ほんとうをいえば十代の少年少女の読むものなのかもしれないとしても、その年代を意識的にはずし、いわば手おくれとなった出発を古典の世界に向けるのは、どこか人生的なかげりを濃くせずにいない。

 

藤井貞和『古典の読み方』(講談社学術文庫)より。
自分は子供のとき、学生時代にあんまり本を読んできていなかったので、こういう言葉がささる。あのときもっと読んでいればなぁという思いを抱きつつ、またそれを補うかのように読むのだけれど、過去を埋められるわけはなく…年々その「かげり」が濃くなっているような気になる。