「信頼貯金」実践の問題点
最近、「信頼貯金」という実践があることを知りました。
有名な実践らしく、ウェブ上ではいくつも実践記事を見つけることができます。
道徳の授業として行っているケースや、担任の先生がクラス活動として行っているケースなどがあるようですが、いずれにせよ、その内容には問題があるように思います。
一番気になったのは、実践によって差別を助長するのではないか、ということです。
先日Twitterの方で連続ツイートをしたのですが、ブログ内でも改めて問題点をまとめておきます。
「信頼貯金」という実践があることを最近知りました。有名な実践らしく、ネット上でいくつか実践記事を読んだのですが、この実践は差別を助長することにつながりませんか?
— Kohei Seki (@bokuto_kohei) 2021年3月1日
これを安易に行うのは危険だと思います。
以下に気になった点を書いてみます。
なお、初出がまだ分かっていないことと、特定の個人を批判したいわけではないので、具体的な引用は避けます。ただ、実践にはおよその「型」があり(おそらく先行実践を見て追試しているからだと思いますが)、以下に挙げる問題点はほとんどの実践に当てはまるだろうと思います。
教師による子どもへの差別
一番問題だと思ったのは、導入での教師の説明です。
導入の例で登場する教師は、児童/生徒であるAさんとBさんが同じことをしていても(宿題を忘れるなど)、片方の生徒(仮にAさん)には優しく対応し、片方の生徒(Bさん)には厳しく当たっています。
実際の授業者である教師は、この例を挙げながら「これは差別でしょうか?」とクラスの子どもたちに問いかけます。子どもたちからは「差別だ」「いや何かあるはずだ」などの回答を想定しているようです。
そして、その後に、Aさんは普段から良い行動をしている(友達に親切にするなど)、Bさんは普段から悪い行動をしている(友達をたたくなど)、という情報を追加して子どもたちに提示します。
そして、子どもたちから、普段の行いがそうなら先生の態度が変わるのも仕方がない、という意見を引き出します。
その後授業者の教師から、Aさんは普段から良い行いをしているので「信頼貯金」の残高が高く、Bさんは普段から悪いことをしているので「信頼貯金」の残高が低いと説明されます。
例の中で教師の態度が異なるのは「信頼貯金」の額が異なるからだ、というわけです。
このように、導入で紹介される例の中で、教師はその子の普段の行いによって態度を変えているのですが、これは子どもに対する差別であり、教師としてはやってはいけないことです。
その子の信頼貯金の額によって教師の態度が変わることを生徒に伝えていますが、それをしてしまっては教育は成り立ちません。
また、子どもたちにも、相手に責任を求めて態度を変えて良いのだという間違った理解をもたらしてしまうことにもつながります。
「良い」「悪い」は誰が決めるのか
冒頭の例を示したあと、相手からそういう態度を取られないように、普段から「良い」ことをして「信頼貯金」を貯めていきましょう、という説明がなされます。
この点も疑問です。
貯金が貯まる「良い」行為と、貯金が減る「悪い」行為は誰が決めるのでしょうか?
実践によっては、××をしたらプラス〇〇円(またはマイナス〇〇円)などと、行為と金額を直接的に結びつけているものもあります。
この金額の多寡はどのように決まるのでしょうか?
良い/悪いだけでなく、「良い」行為に優劣をつけていることにもなります。
仮に道徳の授業で「信頼」を取り上げるのであれば、
何が相手の信頼を得る行為/信頼を損ねる行為なのかを子ども主体で考えたり、
仮に相手のことを不信に思ったとしても、相手にどういう事情があるのかを想像してみるように促したり、
お互いがどう歩み寄れるのかをクラスで考えたり、
そういう活動が必要なはずですが、そういう展開にはなっていません。
これでは、教師による価値観の押し付けです。
子どもへの悪影響
仮にこういった授業を行った場合、
ある子がクラスメイトに対して冷たい態度をとったとき、それは相手の信頼貯金が少ないせいだと、簡単に相手の責任にしてしまう可能性があります。
子どもがそう主張した場合、教師はどのように返答するのでしょうか(冒頭の例で教師も同じことをしている)。
また一方で、冷たくされた側が、自分の信頼貯金が少ないせいだと思い込んでしまうのも心配です。
「いじめられる側にも責任がある」というのと同じ構造に思えます。
研究を曲解して紹介
また、後半の説明で唐突に大阪大学の研究結果が紹介されているものがあります。
もとの情報は以下のリンクだと思いますが、実践記事を読む限り、この研究の一部を曲解(拡大解釈)して、子どもに誤った理解をもたらしているように思います。
このHPで紹介されている内容を読む限り、対象となった幼児の行動に変容が見られた、ということは示してはいますが、それはそのまま「人に親切にすれば〇倍になって返ってくる」ということを証明するものではありません。
研究結果の一部を拡大解釈して、子どもに伝えるのは問題があると感じます。
また、仮に研究結果がそうであったとしても「~である」という事実から、直接的に「~すべきだ」という価値を主張するのは飛躍です。
(研究結果を適切に紹介して、子ども自身が「友達に親切にしよう」と思うのは自由ですが)
また、前半の信頼貯金の残高によって相手の行動が変わるという話と、後半の、相手に親切にすれば〇倍になって自分に返ってくる、という話のつながりが不明です。
もとの話とも異なる
「信頼残高」の話自体は、スティーブン・R・コヴィー『7つの習慣』の中で紹介されているものです。
しかし、もとの本の中では、自分の心の持ちようを変えればコミュニケーションが上手くいって成功につながるよ、という自己啓発の文脈で使われているだけです。
貯金はコミュニケーションの比喩であり、信頼残高を貯めるための心の持ち方や、コミュニケーションの方法は紹介されますが、「友達をたたいたらマイナス〇〇円」などという金額の話は出てきません。
問題点を残したまま拡散される怖さ
冒頭でも書いたように、どなたが最初にこの実践を、どういう形で行ったのかはまだ分かっていません。
おそらく、子どもによりインパクトのある伝え方を、ということをねらった結果、教師が子どもの普段の行いによって態度を変える例が付け足されたり、行為と金額を直接的に結びつけて計算させたり、大阪大学の研究結果を引用したりしたのではないかと想像します。
ただ、それらには上記で述べてきたように、多くの問題点があります。
この実践が、十分に批判された過去の実践であればまだよいのですが、ブログや実践共有サイトなどに今でも(割と最近の実践として)掲載されていますし、Twitterを通して今現在も「良い実践」として拡散されているように見受けられます。
そのため、一度はっきり批判しておこうと思った次第です。
ご意見いただければ幸いです。