Senobi

私立の中高一貫校で国語を教えています。国際バカロレア、子どものための哲学、ワークショップ型の授業づくりに関心があります。

国語科としてできることを

中学一年生からの「課題が多すぎる」「休みがない」といった不満、その他いろんな不満が出ていて、どうしたものかと困っている。

 

やりたくないという気持ちやわがままを助長しても良くないし、苦しんでいる生徒に無理やり課題に取り組ませる気も起きない。

他の先生や哲学対話の仲間とも相談して、やはり国語科として、教科担当としての役割を超えてはいけないだろうという話になった。

心配なのは分かるが、教科でやることを見失ってはいけない、ということだ。

 

担任と相談しながら、国語の授業としてどうサポートできるか。

 

ちょうどメディアの単元だったので、新聞の投書を扱うことにした。

「不満を意見に変えてみよう」

 

生徒には、

相手(先生や親、友達など)の言葉や行動が、「あっている」「あっていない」のどちらか、

また、自分の気持ちとして「やりたい」「やりたくない」のどちらか、と問う。

 

そして、これらの組み合わせ4つのうち、いま自分が抱えている不満が、

「あっていない  だから  やりたくない」のか、

「あっている  だけど  やりたい」なのかを考えさせる。

 

例えば、漢字テストの勉強は「あっている(必要なことはわかる)だけど(面倒なので)やりたくない」、という具合だ。

 

このやり方は、哲学対話仲間に教えてもらった。

 

この分類を通して、自分の不満が自分の感情からきているのか、相手の言い分に納得できないことからきているのかを判断させる。

 

そして、各自で考えたことの中から、「あっていない  だから  やりたくない」ことを、投書として新聞社に送ってみよう、という課題を設定した。

 

この導入で、わがままにみえる不満の噴出は減り、客観的な記述が増えた。

 

さらに出来る生徒には、自分は「あっていない」と思ったとしても、相手はどういう気持ちでそれを言っているか想像してみよう、という追加の指示を出した。

この考え方ができてくれば、不満をもとにしつつも、お互いの気持ちを考慮して、建設的な意見に近づけることができるだろう。