あなたの授業は演繹的?帰納的?
かぜ薬のCMみたいなタイトルにしてしまいましたが、最近気になっているテーマです。
演繹的アプローチ、帰納的アプローチとは?
先日、『思考する教室をつくる 概念型カリキュラムの理論と実践』について記事を書きました。
そこでは取り上げきれなかったのですが、授業の「概念的」「帰納的」アプローチについては、第4章で出てくる話です。
演繹的なアプローチでは、生徒が探究に取り組む前に一般化を提示し、生徒はそこからその一般化を裏づけるような事実やスキルを見つけていく。帰納的指導では、逆のアプローチをとり、生徒はまず概念もしくは一般化に関する例や特質に触れ、これらの情報に基づいて概念的な考え(一般化)を導き出し、それを表現する。言い換えれば、演繹的指導は抽象から具象へと向かうアプローチ、帰納的指導は具象から抽象へと向かうアプローチということになる。(p.99)
本書ではこのように違いが説明されています。
本を読んでいないと「概念」や「一般化」という用語がよく分からないと思いますが、「授業を通して生徒が(概念的に)理解すべきこと」です。要は授業の目標ですね。
これを始めに提示するのがいいか? 授業を通して生徒が自らの言葉で記述できるようにするのがいいか?
日本の学校は「演繹的アプローチ」が中心
日本の学校の場合「めあて」や「本時の目標」といったものを最初に提示することが多いですね。黒板に書いておいたり、マグネットを用意して貼ったりします。児童・生徒に学習のゴールを示すことで、何のために学ぶのを明確にし、学びの動機づけにつなげるねらいがあります。かつて教員研修などでそう推奨されました。
これは演繹的アプローチだと言えます。
(ただ、日本で行われている授業の多くは「知識ベース」「スキルベース」であり、本書で言うような「(概念的な)一般化」が授業の目標になっているケースはあまりありません。)
概念型の探究をするのであれば「帰納的アプローチ」がいい
さて、この本の中では「どちらも探究学習を取り入れることはできるが」としつつも、「帰納的アプローチ」の方を推奨しています。
生徒が自ら概念型の理解を構築することを授業の目標にしているからです。
最初に教師が、授業の目標として一般化の文を示してしまうと、生徒が自らそれに気づき、自分たちで考えを構築する機会が奪われてしまうと指摘しています。
もちろん、授業設計の際に教師があらかじめ、この授業で生徒に理解させたいことを明文化しておくことは必須です。あくまでそれを事前に直接的に生徒に提示しない、という意味です。
他の箇所では、
授業で扱う一般化は指導と学習のレベルを引き上げるものであり、また、概念型の指導は探究のアプローチを用いて生徒をスキルから概念的理解へと導く。したがって、教師が授業の冒頭において生徒に対して一般化の文を提示することはない。(p.112)
とまで書いてあります。
帰納的アプローチの難しさ
ただ、この帰納的アプローチは、教師にとっては難しいようです。
概念型の探究をしようとすると、教師はすぐに演繹的アプローチに陥るとも書いています。
その理由を箇条書きでまとめてみると、
・事実とスキルの学習を目標とする指導法に慣れている
・教師は、提示された目標をできるだけ早く達成することを目指す指導法を教え込まれている
・生徒が自分たちの力で概念的理解にたどり着けるかどうか確信がない
・学習プロセスをコントロールしようとする気持ちを手放さなければならない
などが挙げられています。
これは私もよく分かりますが、教師にとって心理的負担が大きいですね。
IBはなぜか「演繹的アプローチ」
この本を読んで、どうしても腑に落ちないのが、IBのプログラムでは演繹的アプローチの方が推奨されていることです。
このブログでも何度も取り上げているように、IBのプログラムも「概念学習」がベースになっており、本書(原著の方)はIBのカリキュラム設計を学ぶ上での基本文献です。著者の一人であるエリクソンはIBのプログラム作りにも携わっています。
IBでも、単元設計をする際に「その単元を通して生徒が(概念的に)理解すること」を明文化します。これを「探究テーマ」と呼んでいるのですが、IBのワークショップなどでは、単元の最初にこの探究テーマを生徒にはっきりと伝えることが推奨されています。
IBの外部コーディネーターからも、単元計画書を教室に掲示したり、その単元で扱う概念や探究テーマを黒板に常に貼っておくとよい、というアドバイスをもらったことがあります。
これは思いっきり演繹的アプローチですね。
IBではエリクソンの概念型カリキュラムを取り入れているにも関わらず、演繹的アプローチを推奨している、このギャップは何なのか?
IBが演繹的アプローチを推奨する理由は何か?
この点がずっとひっかかっています。
…最後の話題は、IB教員でなければあまり気にするようなことではないと思いますが、演繹的/帰納的アプローチの区分は意識すると面白そうですね。
先生方の授業スタイルはどちらですか?
探究型の授業をする際、演繹的アプローチと帰納的アプローチ、どちらが効果的だと思いますか?
今週の名文(22)
これほど豊かになって、これほど幸せにならなかった国はめずらしい
10月5日朝日新聞「折々のことば」で紹介されていた言葉。
先日も、日本の子どもの精神的な幸福度の低さがニュースになっていました。世界的に教育の目標がWell-beingにシフトしていくなかで、いつまで有名大学への進学実績に固執しつづけるのか、最近とくに考えますね。
いいか、相手は子どもなんだぞ
絵本作家・赤羽末吉
絵本作家の赤羽さんは、絵本のなかに描く風景や時代設定がでたらめなものにならないよう、とことんこだわって絵本を作っていたそうだ。「いいか、相手は子どもなんだぞ」が口癖だったとか。相手が子どもだからこそ手を抜かない。
高濱正伸・平沼純『子どもを本好きにする10の秘訣』から
「疑問をもつ」とは、「関心をもつ」ことと同義です。好きな人のことを「もっと知りたい」と思うのと同じことだといえます。
堀越耀介
『哲学はこう使う』から。私たちは学校教育の中で「問いに答える」ことに慣れすぎていて、「問いを立てること」「問いに問いを重ねていく」ことが苦手だと言う。そのためワークとして、本書の中で著者は友人と「コップ」に対して思いつく限りの問いを出していく。そして「実際その友人とは、数時間にわたってそれぞれの問いを議論しましたが、大変興味深いテーマであることがわかり、私たちはコップに対する愛を深めました」と記す(笑)。ここ好き。
育児生活7カ月
ようやく猛暑がおさまって、お出かけできるようになったと思ったら、急な冷え込みと雨で家に閉じこもる生活に逆戻り。
そんな中で育児生活も7カ月になりました。
離乳食を始めてからひと月ほど、今では一日二回、だんだ食事の量も増えてきました。
(それに合わせてう〇ちもくさくなっていく笑)
手の筋肉もついてきたのか、音の鳴るおもちゃを渡すと、自分でぶんぶん振って遊ぶようになりました。使い方が分かってきたのかな?
抱っこしていても、顔の周りのいろんなところをつかんでくるので痛い。
まだうつ伏せになったり、転がったりするばかりで、おすわりやハイハイはできるようになっていません。
育児書なんかを読んでいると、振り返ったら急におすわりしていた、とか、ちょっと目を離すとずりばいしながら移動していた、などという記事が載っていたりします。
目の前で寝転がっている我が子を見て、本当にそんなことが起こるのか信じられませんね。
来週から、実家の方に少し長めに帰省しようかと考えています。
帰省して両親と過ごすのは盆や正月の数日だけ、というのがずっと長い間続いていました。ある程度長い期間実家で過ごせるのも、仕事をしていないこのタイミングくらいかなとも思います。
孫と過ごす時間を、両親も心待ちにしてくれています。
【読書】『本の読み方 スロー・リーディングの実践』
ずっと前に読んでいたこの本を読み返してみたのですが、かなり使えます!
(今はPHP文庫に入っているんですね、私が持っているのはPHP新書版です)
本書では、大量の本をむやみに速読で消費するのをやめ、もっと楽しく豊かな読書=スロー・リーディングに読者を促します。
第1部と第2部では、スロー・リーディングの基本的な考え方や具体的なテクニックが紹介されます。
そもそも中高生の場合は大量に本を読んでいないことが問題なわけですが、そのことはひとまず置くとして、この本で述べられている考え方や方法は中高生にもぜひ知ってほしいところ。
小説を読むとき、細部を捨てて主要なプロットに還元する読み方をやめて、むしろ、プロットへの還元から零れ落ちる細部にこそ、目を凝らすべきである。差異とは常に、何か微妙で、繊細なものである。(p.47)
本を読む喜びの一つは、他者と出会うことである。自分とは異なる意見に耳を傾け、自分の考えをより柔軟にする。そのためには、一方で自由な「誤読」を楽しみつつ、他方で「作者の意図」を考えるという作業を同時に行わなければならない。(p.72)
常に「なぜ?」という疑問を持ちながら読むこと。これは、深みのある読書体験をするための一番の方法である。そして、読者が本を選ぶように、本もまた、読者を選ぶのである。会話の中で、聴く気のない相手に対して、人が「この人に話しかけても仕方がない」とそっぽを向いてしまうように、「なぜ?」という疑問を持たない人には、本は永遠に口を閉ざしてしまうだろう。(p.74)
例えばこのような小説を読む心構え、読書論が語られるわけですが、こういう部分をみんなで読んでディスカッションをしたり、自分の読み方について振り返ってみるような授業をしたいなと思う。
第3部からは実践編です。著者が実際にスロー・リーディングの手本を示してくれています。
実際に授業でもテクスト分析を行ったりするのですが、生徒が読むのにちょうどいい見本があまりないんですよね。論文では難しすぎるし…結局自分で作ってみたりするのですが、この本で紹介されている分析のやり方と解釈は生徒に示す例としてもぴったりだと思います。
『こころ』『高瀬舟』といった定番教材が取り上げられているのも、高校の現代文で使いやすいところです。
また、カフカの『変身』と『橋』を比較して読んだり、金原ひとみ『蛇にピアス』と谷崎潤一郎『刺青』の比較などは、最近IB「文学」でも取り上げられる「テクスト間の関連性」の好例です。
IBプログラム「文学」の授業、または新学習指導要領の「文学国語」の授業づくりのヒントとして、とても参考になる本でした。
初版が2006年の本ですが、自分の授業の作り方がようやくこの本に近いところに来たな、という発見がありました。
童謡「森のくまさん」の歌詞って変じゃない?
子どもと遊んでいると、今まで気にもしなかったところが気になったりします。
今日は童謡を歌って遊んでいたのですが、「森のくまさん」の歌詞って、よく考えると意味が分からないですね。
あるひ もりのなか くまさんに であった
はなさく もりのみち くまさんに であった
くまさんの いうことにゃ 「おじょうさん おにげなさい」
スタコラ サッサッサのサ スタコラ サッサッサのさ
(Wikipediaより)
童謡なのでくまさんが話すのはいいとしても、なぜ「おじょうさん おにげなさい」と言ったのか? 何から逃げるのか?
クマが自分で自分から逃げなさいと言うかなぁ? 妻は「この森は危ないから逃げなさい」という意味だと思っていた、と言っていました。
もともとはアメリカの民謡で、日本語訳詞は馬場祥弘さんという方がされたようです。
いくつか異なるバージョンがあるようですが、もとの英語の歌詞を読むとその違いが面白いです。
The other day, I met a bear, A way up there, A great big bear.
The other day, I met a bear, a great big bear, a way up there.
He looked at me, I looked at him, He sized up me, I sized up him.
He said to me, "Why don't you run? I see you don't, Have any gun."
("The Bear" Wikipediaより)
この引用だけでもいろんな違いが読み取れますね。
「おじょうさん おにげなさい」の元の歌詞が「Why don't you run?」だったとは。
その後に理由も説明されていますね。「銃を持っていないようだけど」ってずいぶん、とぼけたクマです。これだったら、「なぜ逃げないの?」とそのまま訳した方がよさそうな気もします。
広まったのは、「みんなのうた」で紹介されたのがきっかけだったようですが、確かに子ども向け番組で「銃」の単語は使いづいですね。
主人公も、「 I 」と「me」で書かれるだけなので「おじょうさん」かどうかは分かりません。
もとの歌では、その後主人公の「私」はクマから逃げ出しますが、クマが後ろから追ってきます。木の枝につかまって逃げようとするが…というなかなかスリリングな展開です。
白い貝殻のイヤリングを届けたり、お礼に歌ったりしません。
ストーリーの変換以外にも、「A great big bear」を「くまさん」にしてしまい、また「スタコラサッサのサ」「トコトコトッコトコト」と擬音語をたくさん盛り込んだ馬場氏の訳は、子ども向けの歌として見事だなぁと思いますね。
こういう英語の授業をしたら楽しいんじゃないかなぁ。
今週の名文(21)
教養とは、運命として与えられた生まれ育ちから自分を解放すること
読書猿
読書猿さんのオンライン記事(DIAMOND ONLINE 9/28)から。教養とは、蘊蓄を語ることでも、幅広い知識をもっていることでもないという。勉強の目的にも通じるものがありますね。
『独学大全』はやく読んでみたいなあ。
そもそも探検とはシステムの外に出る行為で、ある意味、社会や時代の価値観の否定でもあります。にもかかわらず、「社会の役に立つ」という全く逆の文脈で問われたことにびっくしたんです。極夜を見に行くことが、社会の役には立つわけがないでしょう。
探検家・各幡唯介
10月1日朝日新聞に載っていた探検家・各幡さんのインタビューが面白かった。探検から帰国した際、記者に「探検は社会の役に立っていないのでは?」と問われて驚いたという。
役に立つか/立たないか、というモノサシばかりで測るような風潮を批判的に考えるため、探検を続けるそうだ。
しかしさっき君は、実にうまく音読したね。この問題は三つの文章から成り立っている。ハンカチとくつ下が三回ずつ出てくる。×枚、×足、×円。×枚、×足、×円…この繰り返しのリズムを、的確につかんでいた。味気ないドリルの問題が、一篇の詩のように聞こえたよ
記憶が80分しかもたない博士が、小学生のルートの宿題をみてあげる場面。博士の子どもに対する接し方、つい教員視点で読んでしまう。子どもの良い点をしっかりつかまえて、言葉で表現する。とても良い。
【読書】『思考する教室をつくる 概念型カリキュラムの理論と実践』待望の邦訳が出た!
今日取り上げるのは、こちらの本です。
思考する教室をつくる概念型カリキュラムの理論と実践: 不確実な時代を生き抜く力
- 作者:H・リン・エリクソン,ロイス・A・ラニング,レイチェル・フレンチ,H. Lynn Erickson,Lois A. Lanning,Rachel French
- 発売日: 2020/09/24
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
国際バカロレアをやるうえで、プログラムの理論的土台となっているこの本は、IB教員であれば必読です。
原著の方は、昨年夏に研究会仲間で読書会を行ったのですが、自分の英語力ではなかなか理解したと言えない部分が多々ありました。
やっと日本語版が出た!というわけで、さっそく読んでみました。
「概念型カリキュラム」というのが聞きなれないと思いますが、帯で鈴木寛氏が書いているように、新学習指導要領にこの考え方が取り入れられてきています。
今後もその傾向は続くでしょうから、IB校以外の先生方にとっても参考になる部分は多いと思います。
基本的な考え方
この本は、一言でいえば、教員に従来型のカリキュラムと指導から「概念型のカリキュラムと指導」へマインドシフトを迫るものです。
従来は、知識やスキルを身に付けることが中心でした(内容網羅型)。しかしそれでは浅い認知プロセスしか経験できないと本書はいいます。
生徒がより高次の思考をするにはどうするか。そこで登場するのが「概念」です。
事実レベルと概念レベルの思考を行ったり来たりすることで、生徒の知力は伸びる、というのが本書の基本スタンス。
それを具体的に引き起こすための単元づくりの方法を、詳細に説明しています。
概念って何?
本書で説明されているように「トピック」と「概念」を区別して捉えてみると、なんとなくイメージできるかと思います。(
本書で挙げられている「トピック」の特徴は以下のようなものです。
トピックは特定の人々、場所、状況、または物に関する一連の事実の枠組みとなるものである。トピックは、学習単元に文脈を提供する。
トピックは、転移しない。トピックは、特定の実例と関連している。
〈例〉
・アマゾン熱帯雨林の生態系
・現在の難民危機に対するヨーロッパの対応
・数学の式と方程式
・ピカソ:芸術と影響 (p.41)
対して「概念」は以下のように説明されています。
概念とは、トピックから引き出された「思考の構築物(mental construct)」で、a)時を超越している、b)1~2語の単語か短いフレーズで表される、c)普遍的かつ抽象的(程度は異なるが)である、という性質をもつ。概念の具体例はさまざまにあるが、共通の性質をもっている。概念は転移する。そして、一般化が可能であるという性質がゆえに、トピックより高いレベルの抽象性を呈する。また概念は、一般性、抽象性、複雑性のさまざまなレベルにおいて創発する。概念は、マクロでもミクロでもあり得る。
〈例〉
・システム
・秩序
・生息地
・価値
・一次関数 (p.42)
「一次関数」とかはトピックなんじゃないかとも思いますが、「ミクロの概念」にあたるようです。
そして、複数の「概念」を用いて、生徒が単元を通して理解すべきことを明文化していくというのが教師の大事な役割です。本書では「一般化(generalizations)」と呼ばれています。
一般化とは、思考を要約した文のことで、「この学習によって、何が理解できるか」「どのような学びが新しい状況に転移するのか」などといった学習の関連性についての問いに答えるものである。(p.50)
概念型単元を設計するステップ
この本で紹介されている単元づくりの手順が面白いんです。自分がこれまで行ってきた単元づくりの方法とはまるで違う。
本書の第3章をもとにまとめてみます。簡単な説明は私の解釈です。
①単元名を決める
・中心となるトピックや文脈を決めます。学習を焦点化するためです。
②概念レンズを決める
高次の思考へと生徒を促すために、どの概念を持ちいるのかを決めます。
③単元の領域を決める
教科内のどの領域で行う単元なのかを決めます。(国語だと、現代文とか古典とか?)
④トピックと概念を単元の領域の下に書く
まずは教師が「概念的に」ブレインストーミングを行います。中心となるトピックや概念は決めていますが、それ以外にどんな概念やトピックが扱えるのかを検討します。このプロセスで単元設計に広がりが生まれます。
⑤その学習の単元から生徒に導き出してほしい一般化を文にする(生徒が概念的に理解しなければならないこと)
指導案でいう目標にあたる部分。ここをどう書くかによって、良い概念型の単元計画になるのかどうかが決まります。知識ベース、スキルベースの目標ではなく、②で選択した概念について、生徒がどのような理解をするのかを「明文化」します。
⑥思考を促す問いをつくる
生徒が概念理解に到達するために、様々な問いを用意しておきます。問いの内容によって、事実的に関する問い、概念的な問い、議論を喚起する問い、に分けることができます。
⑦必須内容を決める(生徒が必ず知るべきこと)
単元の中で生徒が知る知識(事実)を特定します。
⑧主要スキルを決める(生徒が必ずできるようになるべきこと)
単元の活動を通して、生徒が身に付けるスキルを特定します。
⑨単元末評価課題および採点ガイドを作成する
評価のための課題を考えます。大事なのは「知識を確認するための課題にしない」ということです。あくまで⑤で設定した目標が、生徒の中でどのように達成されたのかを確認できるような課題の中身を考えなければなりません。
⑩期待される学習経験を設計する
生徒が単元の中でどのように学習をすすめ、評価課題に取り組んでいくのか、そのモデルを考えます。
⑪単元の概要を書く
これまでに考えたことをふまえて、生徒に説明するための単元の概要を考えます。
いかがですか? 教科書・教材ベースの単元づくりとはまるで発想が異なることは伝わると思います。
私の場合は、IBの推奨する単元づくりのステップをこの数年学んできました。IBの単元づくりの方法は細部では異なる部分があるのですが、大枠は同じです。
従来型の単元づくりと違い、生徒を「認知レベルで」ここまで伸ばす、ということを明文化しなければならないのが大変なところです。
これを覚えればいい、これができるようになればいい、という目標設定とはレベルが異なります。(そしてそれが達成できているのかどうかを判断するための課題も考えなければならない)
実際自分でやり始めてはみたものの、それこそマインドシフトが大変でした。
ただ、数年間やっているうちに、徐々に慣れてはきました。単元づくりについてはまだまだ工夫していかなければなりませんが、従来型の知識ベースに戻ることはなさそうです。
折りに触れて参照しなおす本だと思います。