Senobi

私立の中高一貫校で国語を教えています。国際バカロレア、子どものための哲学、ワークショップ型の授業づくりに関心があります。

IBの使命って何?~国際バカロレア入門②

連載の2回目です。

国際バカロレア(IB)が大学入学のためだけのプログラムでないことは、前回も書きました。では、IBのプログラムは何のために行われるのでしょうか?

 

IBの使命って何?

IBのガイドを読むと、最初の方にきまって「IBの使命(IB mission statement)」という文章が載っており、これを読めばIBが何を目的として教育プログラムを実施しているのかが分かります。

 

国際バカロレア(IB)は、多様な文化の理解と尊重の精神を通じて、より良い、より平和な世界を築くことに貢献する、探究心、知識、思いやりに富んだ若者の育成を目的としています。

この目的のため、IBは、学校や政府、国際機関と協力しながら、チャレンジに満ちた国際教育プログラムと厳格な評価の仕組みの開発に取り組んでいます。

IBのプログラムは、世界各地で学ぶ児童生徒に、人がもつ違いを違いとして理解し、自分と異なる考えの人々にもそれぞれの正しさがあり得ると認めることのできる人として、積極的に、そして共感する心をもって生涯にわたって学び続けるよう働きかけています。

 (『MYP:原則から実践へ』)

 

 

 

 

私がとくに好きなのは「より良い、より平和な世界を築くことに貢献する」の部分です。

学校で働いていると、テストの得点をどう伸ばすか、生徒指導案件をどうするか、といったところばかり考えてしまいがちです。あれ、何のために教師やってるんだっけ?

そんなふうに目的を見失いそうになったとき、自分が教育に携わっているのは世界平和のためなんだ、と考える。青くさいように思うかもしれませんが、とてもやる気の出る思考法です。

ときどきこの文言を思い出すようにしています。

 

その他に「多様な文化の理解と尊重」「人がもつ違いを違いとして理解し」などから、プログラム全体で多様性を尊重していることが伝わります。

これらは、IBが世界中で行われる共通プログラムであることも関係しているでしょう。

また、「生涯にわたって学び続ける」人を育てる、という目的も明記されています。

英語版では”lifelong learners"です。

大学に合格させることがゴールではありません。

 

教育基本法と比べてみる

IBの使命、日本の教育でいうと何にあたるのでしょうか。

近いのは教育基本法でしょうか。

前文

我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。

我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。

ここに、我々は、日本国憲法 の精神にのっとり、我が国の未来を切り拓く教育の基本を確立し、その振興を図るため、この法律を制定する。

前文には「世界の平和と人類の福祉の向上に貢献」とあります。この後たくさんの係り受けがありますが、この理想を実現するために、教育を推進すると書かれています。

 

また、第三条では生涯学習の理念が規定されています。

国民一人一人が、自己の人格を磨き、豊かな人生を送ることができるよう、その生涯にわたって、あらゆる機会に、あらゆる場所において学習することができ、その成果を適切に生かすことのできる社会の実現が図られなければならない。

こう比べてみると、目指しているところは同じですね。

(もちろん、主語が「我々日本国民」であるところは違いますが。「IBの使命」の場合、主語は「IB」もしくは「IBのプログラム」が主語になっています)

 

学習指導要領と比べてみる

次に学習指導要領を読んでみると、このように書かれています。

これからの学校には、こうした教育の目的及び目標の達成を目指しつつ、一人一人の生徒が、自分のよさや可能性を認識するとともに、あらゆる他者を価値のある存在として尊重し、多様な人々と協働しながら様々な社会的変化を乗り越え、豊かな人生を切り拓き、持続可能な社会の創り手となることができるようにすることが求められる。

(『中学校学習指導要領(平成29年告示)』p.17)

一文が長いのですが、ゆっくり読んでみると、これもIBの使命と同じような内容が述べられていると分かります。

 

目指しているところは同じ、でも何かが違う…?

このように教育の目的にあたる部分を読み比べてみると、細かい違いはあるにせよ、目指している部分は似ていますね。

IBも学習指導要領も、世界的な教育の動向や研究成果を踏まえて作られていますから、同じような方向性になることは当然といえば当然です。


ではIBで行われている教育と、日本の学校で一般的に行われている教育が同じかと言えば違う。どこに違いが生じてくるのでしょうか。

 

私は、一番の理由は教育課程にあると考えています。

 

IBでは、すべての教育課程が、最初の使命を達成するために組まれています。

その目的を達成するため、いずれブログでも紹介していきますが、10の学習者像、概念学習、グローバルな文脈、学習の方法など、さまざまなアプロ―チが用意されています。

これらを各教科で使い実行していくことで、学校全体でIBの使命が達成される、という仕掛けです。

私がIBのプログラムを学んで一番感心したのはこれでした。目的と手段が一致している。

 

では、自分たちの学校の教育課程はどうでしょうか。

先に紹介した「学校教育法」や「学習指導要領」に書かれている目的がどれだけ意識されているか。

そのほかにも、各学校ごとに理念や教育方針がありますが、その理念や方針は教育課程とどれくらい結びついているか。目的がいつの間にか大学入試の合格実績にすり替わっていないか。

そういうことを考えてみると、心もとない気がします。

 

先に引用した「学習指導要領」の文言は、次のように続きます。

このために必要な教育の在り方を具体化するのが、各学校において教育の内容等を組織的かつ計画的に組み立てた教育課程である。

 教育課程を通して、これらの時代に求められる教育を実現していくためには、よりよい学校教育を通してよりよい社会を作るという理念を学校と社会とが共有し、それぞれの学校において、必要な学習内容をどのように学び、どのような資質・能力を身に付けられるようにするのかを教育課程において明確にしながら、社会との連携及び協働によりその実現を図っていくという、社会に開かれた教育課程の実現が重要となる。

 

もう少し短い文で分かりやすく書いてくれよと思いますが、ここにあるように、おおもとの目的を共有し、その目的と達成するためこ手段が一致した教育課程に見直していく必要があります。


IBについて学ぶ利点の一つに、自分たちのやっていることが相対化できるというのがあると考えているのですが、教育課程についてもそのことが言えそうです。