Kindleだと本を買いすぎる
Kindleを使い始めて数日になります。
先日Twitterで「筑摩書房 創業80周年フェア」の存在を知りました。
結構な数の新書が、Kindle版で1冊200円を切って販売されています。
いやーうれしいですね。
この機に10冊購入。10冊買っても2000円いかない。
Kindleを買ってよかった、とさっそく思ってしまいました。
ちくまプリマ―新書は、生徒に紹介する機会も多いため、なるべく多く読んでおきたいなと思っています。
今回は、そのうち読もうと思っていた、
福井健策『18歳の著作権入門』
今井むつみ『ことばの発達の謎を解く』
渡辺一史『なぜ人と人とは支え合うのか』
田中研之輔『先生は教えてくれない大学のトリセツ』
などを買いました。
Kindleは、本を選んでワンクリックで購入する仕様になっています。
(最初少し戸惑ったのですが、Amazonポイントが優先的に使われるようになっているんですね。)
だから、買っている、という意識がどうしても薄れてしまいます。
これまでの紙の本であれば、
書店で手に取った後、これ以上家の本棚をあふれさせてもなぁ…という気持ちになって、買わずに戻す、ということがよくありました。
Amazonで注文する時でも、いったんいくつかカートに入れてから、これはまた今度でいいか、とリストから外したりします。
電子書籍の場合は危ないですね(笑)
家で場所をとるから止めよう、という抑制が働きません。
ポチポチやっているうちに、ますます積読が増えてしまう気がします。
百日祝いとお食い初め
赤ちゃんが無事、生後100日目を迎えました!
今日は百日祝いとお食い初めです。
といっても、こういう状況なので両親を呼んだりすることもできず、家で家族3人、こじんまりと行いました。
最初はネットで「お食い初めセット」などを注文しようかとも考えていたのですが、
値段も高いし、自分で作った方が楽しいだろうということで、近所のスーパーで済ませることにしました。
献立は一汁三菜ということで、
もともと料理をしてこなかったものですから、
初めて作る献立ばかりです。
とくに、鯛の下ごしらえで鱗をとるとか、内臓を取り出すとか、苦戦しましたがいい経験でした。
料理も完成し、赤ちゃんはお出かけ用の良い洋服に着替えさせたりして、準備万端。
さあみんなで記念写真を撮ろう、というタイミングで、
赤ちゃんが急に泣きだしてしまいました。
慣れない服を着て嫌だったのか、ずいぶん起きていたから眠くなったのか…
なかなか泣き止んでくれません。
お食い初めでは、箸を赤ちゃんの口にもっていく仕草をして、祝うそうなのですが、泣いてしまってそれどころじゃない。
妻があやしたり、いろいろ機嫌をとってシャッターチャンスを狙いますが、ぜんぜんだめ。
ずっと泣いていて、疲れたのかそのまま寝てしまって。結局泣いている写真しか取れませんでした。
張り切って準備して、赤ちゃんに振り回されて、なんだかどっと疲れた一日になりました。
まあ、お祝いの日に泣いて写真に写るなんて今だけだろうから、これもいい思い出だよねと、そう思うことにします(笑)
なかなか親の思惑どおりにはいきませんが、それくらい元気でいてくれたらと、これからの成長を願いました。
はじめてのお薬
赤ちゃんのお腹の調子が依然として良くない。
前に発熱して、診てもらったときには、熱が下がった後は経過観察、様子を見てください、ということだった。
それからひと月ほど経ち、毎日元気そうではあるが、なかなかお腹の調子だけは戻らない。
さすがに心配になり、再度近所の病院で診てもらうことにした。
結果は、やはり心配することはなくて、赤ちゃんだから腸の治りに時間がかかっているのだろう、ということだった、
整腸剤を処方される。
はじめてのお薬だ。しかも粉薬。
よく、子ども用にゼリーに混ぜる商品などを薬局で見かけるが、
まだ離乳食にもなっていない赤ちゃんにどう飲ませるのか?
薬局で教えてもらったやり方はこうだ。
小皿に薬を出す
湯冷ましを適量落とす
指でまぜてペースト状にする
赤ちゃんの上顎や頬の内側にはりつける
ミルクや湯冷ましと一緒に飲ませる
妻とやってみたが、まず赤ちゃんに口を開けてもらうだけでも苦労する。
で、口の中に貼り付けると、苦いからかすぐに泣き出して、なかなかミルクを飲まなくなる。
なんとかやり終えたが、大変でした。
これを朝昼晩、1日3回。
早く良くなってくれと願うばかりだ。
kindleを使ってみた
前々から欲しいと思っていたkindleをついに手に入れた。
買ったのは、Paperwhiteの広告付き8Gのモデル。
8Gだと、普通の本なら数千冊分のデータが入るというのだから、ものすごい。
広告付きだと、広告なしのモデルより2000円安い。
どんな感じの広告なのかと思ったが、最初にkindleのお知らせのようなページが表示され、スワイプを求めらるくらいだった。
そのうちいろいろ表示されるのかもしれないが、今のところはとくに気にならない。
肝心の読みごこちだが、使ってみてすぐに慣れた。
初期設定より少し画面の明るさを落とし、普通の本より文字サイズを少し大きめにするくらいが、自分にはちょうどよいことが分かった。
(最近、昔の文庫本など、小さい字の本がどんどん読めなくなってきた。嫌だなぁ)
文字サイズが大きい分、ページをめくる(タップする)回数も増えるのだが、指で軽くタップしながらどんどん進めていくので、読書のテンポが良い。
タップする位置によって、ページを進めたり、もどしたりするのだが、押す場所を間違えていったり来たりすることは何度もあった。
そのうち操作に慣れれば解消されると思う。
タップの仕方が悪いのか、データの問題なのかわからないが、ページが変わるときに一瞬白黒反転することがあって、その時は目がチカチカして困る。
文中の単語を選択すると、辞書機能があって言葉の意味が分かるようになっている。
けれど、スマホやタブレット型PCと比べてタッチパネルの感度がいま一つなので、単語の選択に手間取る。
手元のスマホに入っている辞書で調べた方が早い気がするので、これはあまり使わなそう。
国語教員としてありがたかったのは、本の一節を選択し、メールに転送できる機能があることだ。
授業プリントを作ったり、問題を作ったりする際、
最近ではスマホで写真を撮り、そのデータをGoogleドキュメントで開いてデータ化することが多かったのだが、
電子書籍ではどうするのかが気になっていた。まさかまた手入力?
幸い、1ページ程度の文章であれば、選択し自分のメールに送ることでデータ化することができる。
kindleで買った本からでも、授業プリントや試験問題を作れることが確認でき、一安心だ。
これを機に、家にある本も整理していきたいと思うが、自分の中で紙の本の所有欲がどう変わっていくのか、楽しみではある。
Job-a-likeに参加しました
国際バカロレア(IB)では、ワークショップの他にJob-a-likeというイベントが開催されることがあります。
今週の名文(6)
一般的には、移民の第2世代は親より良い仕事に就くことが多いのに、日本にデカセギに来たブラジル人の子どもは、工場労働者のままです。さらに次の世代の子どもたちは、発達に障害があるとされ、世代を経るにつれて社会階層も学歴も落ちています。このままでは深刻な社会問題を引き起こします。
◯デカセギの子どもの教育問題を調べてきた臨床心理士、中川響子さんの言葉。6月9日朝日新聞より。早い段階で適切な教育やサポートが受けられていれば状況は変わるかもしれないのに。この教育システムや社会構造の問題は『ケーキの切れない非行少年たち』で述べられていることとも共通する。
聴くということが、だれかの言葉を受けとめることであるとするならば、聴くというのは待つことである。話す側からすればそれほ、何を言っても受け容れてもらえる、留保をつけずに言葉をつけとめてくれる、そういう、じぶんがそのままてま受け容れてもらえるという感触のことである。
◯鷲田清一『「待つ」ということ』より。定期的に読み返し、自分はこういう聴き方ができているか振り返る。
なんの私のすることが あるか? それは分らぬ:が,とにかく なにかしなければならぬような気がして,どんなのんきなことを考えているときでも,しょっちゅう うしろから‘なにか’に追っかけられているような気持ちだ。それでいて、なんにも手につかぬ。
◯何となく読み返した『啄木 ローマ字日記』、あまりに今の自分にぴったりな気分が書かれてあった。こんなに啄木に共感できるとは。
本の書き手について~『ラクイチ授業プラン』ができるまで⑥
執筆メンバーを集める
基本的な紙面構成が決まったところで、メンバーをどうしようか、ということになりました。
一人で書く、ということも考えられるのですが、それだと授業アイデアが偏ってしまうおそれがあります。
そのため、なるべくチームでやりたい、という希望がありました。
その点、編集者さんも同じ考えでした。
そこで、職場の同僚や大学の先輩同期、FBで紹介してもらった先生など、知り合いにあたって趣旨を説明し、やってみたいという先生方に集まってもらいました。
教育書を書く先生は限られている?
ここには、編集者さんの思いも含まれています。
あるミーティングで出た話が印象的でした。
それは、教育書は特定の先生ばかりが書いている、という話でした。
なるほど、書店の棚を思い浮かべてみても、わかる気がします。
なぜ同じような人ばかりが本を書くのか。
もちろん、その先生が素晴らしい実践をしている、というのはありますが、
一方で、優れた実践をしていて、かつ本も書きたい、という人は限られるのだそうです。
本を作るためには、原稿執筆だけでなく、デザインを考えたり、校正をチェックしたりと、さまざまな工程があり、完成させるまでが大変です。
それがあるため、ユニークな実践をしていても、普段の仕事が忙しかったり、授業研究の時間を取られなくないなどの理由で、なかなか本を書くところにまでいけないのだとか。
一度本を書いた経験があると、全体の進行ペースなども分かり、次からはぐっとやりやすくなります。
その意味で、出版社や編集者としても、頼みやすかったり、説明や作業の手間が省けて助かったりすることもあるようです。
だから良くないということを言いたいわけではありません。
出版不況の中で、どんどん新しい本を出していかなければならない現実があります。
信頼できる著者に任せたい、ということもあると思います。
ただ、その編集者さんは、
この現状で、新しい書き手を育てられていないのではないか、
若い先生も本を出して、実践を発信することで、自信につながったり、次への力になるのではないか、
そのために出版社として何かできないか、
などの気持ちを話してくれました。それがすごく心に残っています。
誰もが書き手になれる
このように、教育書を出す人が固定化してしまうと、
書き手は一握りの特別な人、他の人はそれを受け取るだけ、という分断的な構造になってしまいます。
しかし今回の本は、1時間で簡単にできる授業プラン、というコンセプトです。
普通の教育書より、原稿を書くハードルは低いはず。この本なら書いてみたいと参加してくれる先生がいるのではないか、という期待がありました。
そして期待どおり、これまで本に原稿なんて書いたことはないけれど、ぜひやってみたい、という先生方に集まってもらうことができました。
みなさん、自分の実践が本に載るなんて楽しみ、とおっしゃってくれています。
編集者さんの思いが、この企画で少しは形にできるのかな、と感じられました。