Senobi

私立の中高一貫校で国語を教えています。国際バカロレア、子どものための哲学、ワークショップ型の授業づくりに関心があります。

本の書き手について~『ラクイチ授業プラン』ができるまで⑥

執筆メンバーを集める

基本的な紙面構成が決まったところで、メンバーをどうしようか、ということになりました。

一人で書く、ということも考えられるのですが、それだと授業アイデアが偏ってしまうおそれがあります。

そのため、なるべくチームでやりたい、という希望がありました。

その点、編集者さんも同じ考えでした。

 

そこで、職場の同僚や大学の先輩同期、FBで紹介してもらった先生など、知り合いにあたって趣旨を説明し、やってみたいという先生方に集まってもらいました。

 

教育書を書く先生は限られている?

ここには、編集者さんの思いも含まれています。

あるミーティングで出た話が印象的でした。

 

それは、教育書は特定の先生ばかりが書いている、という話でした。

なるほど、書店の棚を思い浮かべてみても、わかる気がします。

なぜ同じような人ばかりが本を書くのか。

 

もちろん、その先生が素晴らしい実践をしている、というのはありますが、

一方で、優れた実践をしていて、かつ本も書きたい、という人は限られるのだそうです。

 

本を作るためには、原稿執筆だけでなく、デザインを考えたり、校正をチェックしたりと、さまざまな工程があり、完成させるまでが大変です。

それがあるため、ユニークな実践をしていても、普段の仕事が忙しかったり、授業研究の時間を取られなくないなどの理由で、なかなか本を書くところにまでいけないのだとか。

 

一度本を書いた経験があると、全体の進行ペースなども分かり、次からはぐっとやりやすくなります。

その意味で、出版社や編集者としても、頼みやすかったり、説明や作業の手間が省けて助かったりすることもあるようです。

 

だから良くないということを言いたいわけではありません。

出版不況の中で、どんどん新しい本を出していかなければならない現実があります。

信頼できる著者に任せたい、ということもあると思います。

 

ただ、その編集者さんは、

この現状で、新しい書き手を育てられていないのではないか、

若い先生も本を出して、実践を発信することで、自信につながったり、次への力になるのではないか、

そのために出版社として何かできないか、

などの気持ちを話してくれました。それがすごく心に残っています。

 

誰もが書き手になれる

このように、教育書を出す人が固定化してしまうと、

書き手は一握りの特別な人、他の人はそれを受け取るだけ、という分断的な構造になってしまいます。

 

しかし今回の本は、1時間で簡単にできる授業プラン、というコンセプトです。

普通の教育書より、原稿を書くハードルは低いはず。この本なら書いてみたいと参加してくれる先生がいるのではないか、という期待がありました。

 

そして期待どおり、これまで本に原稿なんて書いたことはないけれど、ぜひやってみたい、という先生方に集まってもらうことができました。

みなさん、自分の実践が本に載るなんて楽しみ、とおっしゃってくれています。

編集者さんの思いが、この企画で少しは形にできるのかな、と感じられました。