育児中のコミュニケーション、自己発信
ブログを再び書き始めるようになって、3ヶ月になります。
2回目の予防接種
今日は2回目の予防接種に行ってきました。
この時期には、4種類の注射をすることになっています。
先日両親が来た時、予防接種の話になり、最近の数の多さに驚いていました。
病院でいただいたスケジュールを見ながら、
これは昔はなかった、これはやった、などと母が確認していました。
それだけ新生児医療の常識が変わってきたということなのでしょう。
赤ちゃんに何度も注射をするのはかわいそうとついて思ってしまいますが、ありがたいことです。
前回、予防接種後に赤ちゃんの体調が悪くなってしまったこともあり、妻は朝から心配しています。
病院に確認したところ、4種類なので両手両足に注射することになってしまうとのこと。
一度にやってもいいが、赤ちゃんも大変なので、病院に来られる時間があるのなら、2回にわけた方がいい、とのアドバイスをいただきました。
幸い病院は家から近く、時間もあるので、そうすることにしました。
ということで今日は2つ、両腕に注射をしましたが、前回ほど泣くこともなく、
家に帰ってからも機嫌が良いままでした。
熱もないので、今回は大丈夫かな。
ほっとしました。
今週の名文(8)
自立とは、誰の助けも必要としないということではない。どこに行きたいか、何をしたいかを自分で決めること。自分が決定権をもち、そのために助けてもらうことだ。だから、人に何か頼むことを躊躇しないでほしい。健康な人だって、いろんな人と助け合いながら暮らしている。一番だいじなことは、精神的に自立することなんだ。
◯渡辺一史『なぜ人と人は支え合うのか』(ちくまプリマー新書)で紹介されていた、エド・ロングさんの言葉。
自立というとすぐに自己責任、という方に流れがちな風潮の中、こういう考え方の方がしっくりくる。
この本ではないが、「自立とは依存先を増やすこと」(熊谷晋一郎)という言葉も大切にしている。
こうした黒人たちの受難の経験をなぜ僕たちは読むのか? たぶんそれらが、すべての〈人間〉につながる普遍性を帯びているからだ。
◯小野正嗣「普遍的な痛み 文学は宿す」(6月24日朝日新聞文芸時評)より。黒人の話に限らず、文学を読む意味はこの辺りにある。
たいしたことないです
たかがカレーですから
◯60年やっていたキッチン南海が店を閉めるというニュースから。大変だったかと記者に聞かれた南山茂社長の言葉。
自分が生涯かけてやってきたことを、こう言ってのけるのがかっこいい。
It means your future hasn't been written yet. No one's has. Your future is whatever you make it. So make it a good one, both of you.
人間の未来はすべて白紙だということ。未来は自分で作るのだ。君たちもいい未来を作りなさい。
◯「バックトゥーザフューチャー3」からドクのセリフ。改めて通しで観たけれど、いい映画ですね。
オンラインでの研究会をどう運営するか
今日は、私のやっている授業づくり研究会の日でした。
初のオンライン開催です。
普段は10人前後の参加者なのですが、今回はオンラインということで、国内外のIB校の先生を中心に、30人近い方に参加していただくことができました。
いつもであれば、みんなで中央を向いて座り、有志の実践報告や、テーマを決めてのディスカッションなど、わりとゆるい運営をしています。
人数も多いオンライン上でそれをどうやるか。
今日は、進行をスムーズにするために、実践報告の内容や、参加者のみなさんで話し合いたいテーマを事前に募集しておきました。
それを共有ドライブにレジュメとして入れておき、各自で見られるようにしておきます。
話し合いのルールはどうするか。
とくにルールを決めず、好きに話してもらうのがいいのですが、
大人数ほオンラインで、とくに知らない人同士だと、話に入るタイミングが難しいと感じます。
これだと、一部の人がひたすら話し続け、後の人は聞いているだけ、という展開になりかねません。
今日は、発言したい人には手を挙げてもらうなどのアピールをしてもらって、司会(私)が指名していく、という形式をとりました。
もちろん、これでもよく話す人、聞くだけの人に分かれますが、
自分で手を挙げるという動きがあるので、話したいけれど入れないまま話題が進んでいく、ということはなくなります。
(話したいけど手を挙げられない、という人はいるかもしれませんが)
このやり方だと、参加者で話がどんどん膨らんで盛り上がる、という展開にはなりませんが、
司会が指名していくことで、話の筋道は分かりやすくなり、また司会の指名の仕方によってはリズムも生まれてくるのかなと思います。
他にも、Zoomのブレイクルームを活用するなど、いろいろな工夫があるでしょう。
遠方の先生とも気軽に勉強会ができるというメリットを活かしつつ、
より中身の濃くなるオンライン研究会の形を考えていきたいなと思いました。
実家から両親が赤ちゃんに会いに来た
実家から両親が赤ちゃんに会いに来ました。
本来であれば、生まれた3月には会いに来る予定だったのですが、
緊急事態宣言や移動自粛などがあり、この時期にまで延びてしまっていました。
両親にとっても初孫。
メールで写真や動画などを送っていましたが、
「やっと近くで顔を見ることができた」と、うれしそう。
「30年ぶりだから忘れちゃった」とか言いながら、母が赤ちゃんを抱っこします。
抱っこされている感じがいつもと違う、と分かるのか、すぐに泣き出してしまいました。
ママに代わるとすぐに泣き止んだりして、
「やっぱり分かるんだね〜」なんて言いながらも、ちょっと悔しそう。
父は、落としそうで怖いから見てるだけでいいよ、と触ろうともしません(笑)
自分が赤ちゃんのとき、両親がどのように育児をしていたのか、なども聞くことができました。
なかなか泣き止まなかったそうですが、車に乗せてドライブすると泣き止んだそうで、
私が泣き出すと父は、泣き止むまで車を走らせていたそうです。
チャイルドシートなどなかった時代、停車のはずみで助手席から落ちたこともあるとか…
初めて聞く思い出話もあり、少しの間でしたが、楽しい時間を過ごせました。
地元を離れてずいぶんになりますが、久しぶりに両親と過ごす穏やかな時間になりました。
小論文の型をどう扱うか
【読書】『なぜ人と人は支え合うのか』「障害」からコミュニケーションのあり方を考える
内容を全然確認しないまま、哲学入門書のようなものを勝手に想像していましたが、違いました。
障害者とどう関わるか、をテーマにした本です。
著者は、最近映画にもなった「こんな夜更けにバナナかよ」を書いた方。
ノンフィクションライターである著者が、障害者や介助者の取材を通して見聞きしたこと、考えたことをまとめています。
また、歴史的に障害者がどのように苦労し、権利を獲得してきたかや、相模原で起こった障害者殺傷事件についてどう考えるか、など、重たい内容が扱われています。
だからといって、この本自体が重苦しいわけではありません。
もちろん重大なテーマを扱っているのですが、読み終わると、もっとこのテーマについて深く学んでみたい、と前向きな気持ちになれる本でした。
なぜそんな気持ちになれたのか。
ひとつは、筆者の立ち位置です。
もともと筆者は障害者とは何の関わりのないライター生活を送っており、障害者のことを取材するようになったのも偶然です。
ですからこの本では、
障害者と話すとき、変に緊張してしまうけれどそれはなぜだろう?
みたいなところから書き始めています。
そのことで、読者の参加のハードルを下げているように思います。
また、著者はできるだけ中立であろうとします。
障害者を特別視するのでもなく、当然排除するでなく、
また障害者は常に支えられる側ではなく、実は健常者も障害者に支えられていることをふまえながら、支え合いの社会の在り方を模索していきます。
もうひとつは、紹介される障害者の方の個性です。
著者が取材した様々な方が取り上げられていますが、その言動やエピソードがとてもユニークで、気づかされることがたくさんありました。
たとえば、ALS(筋肉を動かす神経の障害)のみきおさん。介護者の方と「口文字」を使ってのコミュニケーションの様子が紹介されます。
四肢まひの障害がある天畠さんは、「あかさたな話法」という方法でコミュニケーションをとります。
脳性まひの新田さんは、「足文字」を使います。
このように、障害といっても様々で、できることが異なるわけですから、周りの人とのコミュニケーションの方法も違ってきます。
言われてみると当たり前のことですが、この本を読むまで、こういうことに思いが至っていませんでした。こんな方法があるということも知りませんでした。
中でもやはり本のモデルになった鹿野靖明さん、ご本人と、その介助者の方々のやり取りが強烈です。
障害者というと、どうしても社会的弱者のイメージになってしまいます。また、その
弱い存在を介助者が支える、という見方をしがちです。
鹿野さんは、その固定概念を打ち破ります。自己主張が激しく、介助者に遠慮しません。
その結果、ぶつかり合ったりするのですが、その結果、一方的に「支える→支えらえる」の関係性ではない、人と人との対等な関係性が生まれてくるのだと、著者は見ています。
私が思い出したのは、映画「最強のふたり」でした。
車いす生活を送る大富豪フィリップと、その介護の仕事についたスラム街出身のドリス。ドリスは相手が障害者だからって遠慮しないで、やりたいことをやります。その結果、フィリップも次第に心を開いていく。
立場は逆ですが、特別視しない、というところに共通点を感じました。
他にも、
「介助者」と「介護者」、「障がい者」をどう表記するか(このPCでは第一変換は「障碍者」でした)といった言葉の問題、
国内でどのように福祉が成立してきたか、
障害者の「自立」をどう考えるか、など、
様々な観点が新書に盛り込まれています。
障害について、それとコミュニケーションについて考える上で、とても良い一冊だと思います。