教師のうつへの対処法(2)
先日の記事の続きです。
周りの人に助けれた一方で、もう少しこうだったさらに良かったなと(後になって)振り返ったことです。
1、知識的として学ぶ機会を設ける
前回の記事で、スクールカウンセラーから、うつへの対処法の様々な知識を得たことを書きました。もっと事前にそういったことを知っていれば、何かが違ったのかなとも思います。
誰にでも起こりうることとして、自分がそうなったらどうするか、同僚がそうなったらどうサポートするか、管理職はどう対応すべきか、職員会議や校内研修などを利用して、みんなで学んでおく必要があると思いました。
2、職員同士の対話の機会を増やす
自分の場合は、対話の機会があり、他の人に考えを聞いてもらえたことで、受け入れられたという安心感を得ました。そしてそれをきっかけにして、だんだん回復することができました。
改めて対話の重要性を感じた次第です。
普段から、職員同士で考えを話し合い、聞き合う時間がもっとあれば、より良いと思いました。
職場では効率化が優先されて、教師間の連絡もメールが中心になってきています。
学年会や教科会などの普段のミーティングでは議題がたくさんありすぎで、まとまっていない考えや、目的の無い話をすることがはばかられます。
お互いの顔が見える状態で話し合う時間や、話すなかで考えをまとめていくようなゆったりとした時間は、働き方改革として業務の効率化を進めていくとしても、カットしてはいけない時間だと思います。
どのようにして非効率を残すのか、何が大事なのかをもっと考えていかなければならないと思いました。
3、具体的なサポートを考える
精神的にまいっている時に、「がんばろう」や「乗り越えていこう」という声をかけられると、よりダメージ受けます。
もちろんそれで励まさせれて元気になる場合もあるのでしょうが、今回の私は言われて辛かったです。
「そんなこと言われてもがんばれない」「乗り越えられない自分はダメだ」などと、さらに良くない方に考えるようになっていました。
「無理しないで休んだら」「仕事がきつかったらやらなくていいよ」これは管理職に言わた言葉です。大変ありがたく、実際休みたかったのですが、現実問題として休むことはできず、結果板挟みになりました。
担任業務、授業、部活、分掌などやらなければならないことがたくさんあったからです(その後定期考査もありました)。
自分が休むためには、これらすべての業務を他の人にお願いしなければなりません。そして、精神的にまいっている自分には、その気力自体がありませんでした。
結果、休みたくても休めない、周りからは「休んだら」と言われ続けるという状況に陥りました。
この経験で分かったことは、精神的に辛そうな人を休ませるためには、その人が抱えている仕事をすべて洗い出し、それを全部他の人に振り分け、何もしなくてもその人が休めるような状況まで持っていかなければならない、「無理せずに休んでいいよ」というためには、そこまでサポートする必要がある、ということです。
(実際には、その状態まで持っていった上で、どこまでだった無理なくできそうか、本人に確認をとるべきでしょう。仕事を奪ったり、プライドを傷つけることにもなりかねないので。)
管理職がやるのか、そういったサポート体制を作っておくのか、という問題もあります。
さて、今回、自分がその時感じていたことを振り返ってみました。
また自分がなるかもしれませんし、いつか他の人をサポートしなければならない時が来るかもしれません。今回の経験が少しでも生きればと思います。
教師のうつへの対処法(1)
3月、身の回りで立て続けにいろんなことが起こり、完全に体調を崩してしまっていました。精神的なダメージも大きく、うつに近い状態でした。
幸い、家族や同僚の助けもあり、まだ本調子ではありませんが、徐々に回復しています。
数年前にも一度、精神的にまいってしまったことがあり、その時は心療内科で軽度のうつと診断されました。
今回は二回目ということで、辛いのは変わらないのですが、一方で割と客観的に自分の置かれている状況の分析もできていました。
何かの参考になるかとも思い、個人的な内容が特定できないようにしつつ、まとめてみたいと思います。
私の場合は、次のような体調の変化がありました。
・無気力感、仕事をする、本を読む、何か書く、誰かと話す、そういったことをする気が起きなくなりました。
・体調不良、慢性的に吐き気がしたり、手足が震えたり、微熱が続いたりしました。
・睡眠不足、うまく寝られなくなりました。
・情緒不安定、急に感情的になったり、涙が出てきたりしました。
このように、仕事に行くのもやっとの状態が続いたのですが、
そのような中で、職場の仲間に助けられたなと感じたことがいくつかあります。
(1)同じ学年の先生が仕事を引き受けてくれたこと
学年の業務や、担任の業務など、私がきつそうなのを見かねて、どんどん代わってくれました。自分からはなかなかお願いしますと言いづらかったので、何も言わなくても「ホームルーム代わりに行ってくるよ、職員室にいたら」などと引き受けてくれるのは助かりました。
(2)先生方が気を遣ってくれたこと
「大丈夫ですか」などといろんな先生から声をかけてもらえました。その時はうまく反応できなかったのですが、気にかけてもらっているという安心感がありました。
養護の先生は、細かいことは触れずに「これ読んでみてください」とマンガを貸してくれました(『聖☆おにいさん』)。読んでみると、くだらないギャグマンガで、かなり気持ちが紛れました。相手に負担をかけない気遣いが本当にありがたかった。
その他、話したくなったらいつでも連絡ください、と声をかけてくれる先生方もいました。
(3)対話の機会があったこと
職員が集まって、考えていることを話し合う機会がありました。
対話を通じて、自分だけではない、同じようなことを感じている人が他にもいる、ということが分かり、少し客観的に自分を見ることができました。
また、自分の考えを聞いてもらえた、受け入れてもらえた、と感じたことで、その後ずいぶん気持ちが楽になりました。
「聞く」ことの効用は頭ではわかっていましたが、自分が当事者になって、改めて実感した次第です。
(4)スクールカウンセラーの専門的な知識の共有があったこと
しばらくしてから、スクールカウンセラーの方の話を聞く機会を得ました。
その先生によれば、
食欲低下や睡眠不足、手足の震えなどは生命の危険を察知した動物としての本能的な反応である、
危険を察知した動物の反応は一時的なもので、すぐ収まるが、人間の場合原因が心であるため、しばらくはそれが続いてしまう、
だから自分がおかしいと思うのではなく、それが普通なんだと現状をありのままに受け入れ、時間が経って緩和するまで、負担を減らしていくようにしていくのがよい、
のだそうです。
こういう、知識理解からのアプローチは、自分の置かれている状況をより客観的に分析するのに有効でした。
その他、学校外で引き受けていた仕事を辞退したり、学校にいる時間を極力減らして遊びに出かけたり、春休みに思いきって旅行に出かけたり、
とにかく仕事から離れることだけを集中的に考えて、ようやく前向きな気持ちになれるところまで戻ってきました。
さて、今回の経験をふまえて、助けられた部分はいろいろあるのですが、もっとこうだった良かった、という点もいくつかあります。
次回はそのあたりについて書いてみたいと思います。
「木曽最期」での話し合い
高校一年生の古典で「木曽最期」を読みました。
リーディング・ワークショップふりかえり
授業時数も残りわずかになり、2学期、3学期に行ってきたリーディング・ワークショップについて、生徒にふりかえりのコメントをもらいました。
私も生徒も初めてのスタイルだったのですが、効果のほどはさておいて、おおむね好評でした。
ふりかえりは、数人のグループで話し合い、代表者に意見をまとめて発表してもらいました。
(中1)
・好きな本があるときは良かったけど、好きな本がなかったときは辛かった。
・幅広く読めた。
・集中できずにふわふわしていた。
・静かで暖かかったので眠くなった。
・家ではゲームばかりしているが、読書の時間は集中して本を読めたのは良かった。
・興味のなかった新しいジャンルを見つけられた。
・授業と授業の合間の息抜きになった。
・自分の好きなジャンルやよく読んでいる本以外の本を知れた。
・寝ている人がいた。
・本に対する熱意が上った。語彙力が上った。
・好きなジャンルの本を読めるのが良かった。
・普段読まないものを読めた。
・普段読まない本を読むことができた。
(高1)
・朝読書は時間が短いが、1時間あってよかった。
・図書室に行く機会が増えた。
・本を借りる機会が増えた。
・土曜日に読書の時間があることで、続きが気になり、行き帰りや休みの日に本を読む機会が増えた。
・今まで朝読書では、教室の本棚の本を適当に読んでいるだけで、ストーリーがばらばらだった。まとまった時間があるのが良かった。
・週1でコンスタントにやるのが良かった。まとまった単元でやるよりこのやり方のほうが良いと思う。
・読書記録は、毎時間でなく1冊ごとでも良いのではないか。
・1冊読んで概要を書く方が力になると思う。
・Cromebookを使った記録が良いと思う。
・読書記録にクラッシーを活用するのが良いのではないか。
このような発言がありました。
来年、さらに発展させていきたいと思います。
2月の振り返り
授業時数も終わりが見えてきて、ようやく振り返る余裕ができてきました。
これまでも自転車操業のような毎日を送っていましたが、二学期からワークショップの授業を始めたことにより、これまで以上に手探りの状態が続きました。疲れた…。
大変ではありましたが、生徒が楽しく取り組んでくれたことと、生徒の成長が感じられたことが励みになりました。
一度このアプローチを知ってしまったら、なかなかかつての一斉講義型の授業には戻せそうにありません。
来年度以降も、このスタイルをさらに発展させられるよう、継続していこうと思います。
(1)読書記録、大福帳の活用
今年は、生徒に記録はさせていたものの、その内容にまでは踏み込めませんでした。それをカンファレンスに使うところまではとてもとても。
読書記録には何をどのように書かせるのが良いか、来年度はこの辺りに取り組みたいと思っています。
生徒を縛るものでなく、積極的に使うための記録のやり方はどうするのが良いのか。
(2)これまでの教授内容とのバランス
二学期以降、ワークショップの授業に踏み切ったことで、探究型の単元が多くなりました。IBではもともとほとんどの単元を探究型でやっています。
そのため、これまでの知識ベースのアプローチがどうしても少なくなってしまいました。
これは、私が両方のバランスを上手くとれなかったマネジメント能力の問題でもありますし、
他の教科の課題(反転学習など)で、生徒が時間に追われ、疲れているのを目の前にして、さらに課題を出すのをためらってしまった(遠慮してしまった)、という理由もあります。
いくら探究型の授業が大事だと言っても、これまでみんながやっていた基本的な知識ベースの学習さえできなくなってしまったのでは、生徒に申し訳ありません。
生徒(または学校に預けている保護者)が何を望んでいるのか、そこをわきまえずに、教師のエゴの押し付けにならないようにしていきたいと思います。
勤務校はまだ新しくなって数年しか経っておらず、カリキュラムや制度設計がかたまっていません。
急激に変えられる現状だからこそ、抑制の効いた慎重な変革が必要なのだと思います。
とにかく、ようやくMYPが中1から高1まで4年分できました。
次年度は、もっと見通しをもって効果的な単元設定に変えていきたいです。
物語を書く課題
中学一年生に、物語を書く課題に取り組ませている。
今回の単元は「寓話を書こう」というタイトルで、あるテーマや教訓を設定し、それを読み手に感じ取らせるような物語を書いてみよう、という課題にした。
結果だけ先に言うと、これはあまり機能しなかった。
私はこれまで、二次創作やリライトの課題はよく出していたが、創作に取り組ませることはやったことがなかった。
創作をどう教えて良いか分からなかったからだ。
今回、ライティング・ワークショップの授業やIBのアプローチを学んだことをきっかけに、やってみることにした。
やってみて分かったのは、中学一年生の想像力や行動力は私の授業構想をはるかに超えていて、すぐに収集がつかなくなってしまった。
最初に設定した課題の趣旨が機能しなかったのはこのためだ。
設定が凝りに凝っていたり、
登場人物の変な名前を考えるだけで時間が来てしまったり、
哲学的なテーマを設定し、物語に落とし込めず止まってしまったり…。
みんなばらばらで、しかも頭の中にあるイメージと語彙力や文章力がかみ合っていないから、他人が読んでも理解できない物語がたくさん出来てくる。
一気に何千字も書き上げる生徒がいれば、最初のプロット作りで固まっている生徒もいる。
さて、これらをどうしようか。
ただ、生徒たちはとても楽しそうなのだ。
授業に行くとすぐ「先生、寓話書きましょう!」と言ってくる。
全員Chromebookで書いているのだが、共有して読みあったり、ネットで必要な情報を調べながら書き進めている生徒が多くいる。
改めて、教師の役割は何かを考えてしまった。
最後まで完成させることで、達成感を得られるようにサポートするのも教員の役割。
授業のねらいに即した学びを生徒に提供するのも教師の役割。
確かに私の授業のねらいがあり、ワークシートを配ったり、プロットに手を入れたり、条件を細かくつけていけばいくほど、ねらいどうりの作品が出来てくるだろう。
だけど、そのことで削がれるものも同時にあると思う。
ある時、授業の最初に、
「隣同士で、困っていること、上手く書けないところなどを相談してみて」
と促した。
そうしたら、多くの生徒が自分の創作過程について友達と話し、コメントし合い、一緒に考えるという活動が自然な形でできている。
弁論大会の時にも思ったけど、自分が苦労している分、親身になれるのだと思う。
ある生徒の悩みで、自分はプロットまで書いたんだけど、平凡で面白くない、という意見が出て、それをクラスで共有し、
「じゃあ『面白い物語』って何だろう?」とメタ的な話にまで思わず広がった。
こういう即興の展開は楽しい。
上手くできないからこそ、生まれてくるものがたくさんあると思う。
はじめの頃は、上手さやきれいにまとめることよりも、「書くのが楽しい」という気持ちを高めることができれば十分ではないか。
個々の難しい単元設定より先に、この点を意識したカリキュラム計画が必要だ。
楽しさやモチベーションを維持しつつ、失敗込みのプロジェクトにどう取り組ませていくか。
こんな授業設計に興味を持ち出したら、いよいよ深みにはまってきた気がする。
第2回概念ベース授業づくり研究会
隔月で開催することに決めた、概念ベース授業づくり研究会。
2回目の今回、参加者はIB校の先生を中心に、9人でした。
とくにテーマを明確にせず、参加者の持ち寄った資料を見て、みんなで話し合うことをメインにしています。
(1)
先日私の授業見学にもいらした虎哲さんが、書いている論文を共有してくださいました。
「意見文を書く」という活動の中で、先生方が重視しているプロセスは何か、というのか最初の話題になりました。
・テーマを生徒自身が決めること
・「考えている」ことが伝わる書き方をすること
・感想文をやめること(僕は〜だと思います、という書き方をやめること)
・立場を示すこと
・事実と意見を分けること
・引用と出典の作法(Academic Honesty)
・アカデミックな言葉遣い
このように、各先生方からたくさん挙がったのですが、中学から高校にかけて、どのような順番で身につけさせていくのがいいか、という方略については、まだよく分かりません。
(2)
高校の教科書で「概念的な問い」をどのように扱うのか。
国語総合のある教科書で「時間」に関する問いが出ています。
こういった概念的な問いをどう授業に位置付けていくのか、話し合いました。
(例として挙げられた問いは、概念的な問いと言っていいのか、という別の疑問もありましたが)
例えば「時間」について高校生がどれだけ論じることができるんだろう、
どのような授業展開が可能だろうか、という話になりました。
高校教科書の目次には、概念的なキーワードが並んでいます。(言語、自然とか、近代、構造主義、とか)
あれって何だろうね? というふうに話は広がっていきます。
人文系学問の代表的なテーマであり、大学入試に頻出のキーワード集のようでもあり。
ある先生は、例えば近代や構造主義について、テキストがなくても語れるようにさせたい、と話していました。
それも魅力的ですが、どれだけの高校生がそれを学ぶ必要があるのか、という気もします。
勤務校での実感としては、国語総合の教科書テキストが難しく、生徒のレベルと合っていません。
近代、構造主義といった概念的なキーワードは、知識による側面が大きいのに対し、
時間や自然といったキーワードは、仮に知識が少なかったとしても、少ないなりに考えることのできる概念だと思われます。
(もちろん、知識があればその分深く考えることができるでしょう。知識が不要というわけではありません)
例えば、小中学校から哲学対話の授業が成り立つように、目の前の生徒のレベルに合ったキーワードと問いを選んでいくことで、
それぞれの生徒なりに概念学習ができていくのだろうと思いました。(これは会の中のの発言ではなく、私の感想です)
IBでは、重要概念やグローバルな文脈の中で、「時間」はキーワードになっています。
他教科(例えば科学や歴史など)では時間という概念はどう扱われているか、そして文学作品ではどうか、などを考えさせるのも良いのではないか、という発言もありした。
その後は、私の勤務校の授業実践や年間シラバスを見て、意見交換。
どのように探究を完結させ、達成感や学びを実感できるようにするのか、
年間の中で、いくつくらい探究単元をするのか、
などを話し合いました。
2時間弱の研究会ですが、時間が足りない!
もっと話したいね、という感じを残しつつ、次回に継続です。