Senobi

私立の中高一貫校で国語を教えています。国際バカロレア、子どものための哲学、ワークショップ型の授業づくりに関心があります。

七夕の夜

七夕の夜に、願いごと。


まずは、コロナウィルスや豪雨災害で大変なことになっている世の中が、少しでも早く落ち着きを取り戻せますように。


次に家のこと。

赤ちゃんはもうすぐ4ヶ月になります。

先月はちょっとお腹を壊したり、熱が出たりということはありましたが、

すっかり回復して、ご機嫌な時間が増えてきました。

病気や怪我なく、無事に大きくなってくれますように。


受験生のこと。

ずっと持ち上がってきた学年が、今年受験を迎えます。

うちの学校で、はじめてDPの最終試験もあります。

私は今年度育休のため、仕事を離れてしまいました。

また、コロナウィルスの影響で入試がどうなるのか先が見通せません。

受験生の不安を思うと、辛い気持ちになります。

そんな中でも、推薦書を書いてほしいとか、小論文を見てもらえないかなど、ちらほらメールで連絡がきます。

自分にできることはわずかですが、少しでもサポートしたいと思います。

逆境をたくましく乗り越えて、みんなが希望の進路につけますように。


本のタイトルを決める~『ラクイチ授業プラン』ができるまで⑦

(前回までのあらすじ)

急な授業代行や授業準備の時間が取れなかったとき、1時間完結ですぐに実践ができ、かつ楽しい授業プランを集めた本を作る。

本のコンセプトがかたまり、ページのフォーマットができ、執筆メンバーも集まりました。

 

授業実践を持ち寄る

月に1回程度のミーティングとし、まずは使えそうな授業プランをみんなで持ち寄ることにしました。

目標の掲載数は50本。

見開きで1つの授業プランが載っていて、全体で120ページほどのイメージです。

 

最初の勢いはよかったのですが、いざやってみると大変でした。

というのも、持ち寄った授業アイデアをすべて載せられるわけではない。

 

ミニネタとしては面白いんだけど、明らかに1時間もちそうにない。

また、凝りすぎていて1時間では終わらない。

勉強にはなるが、単なる学習プリントのようであまり楽しそうではない。

著作権的にまずい(著作権に関しては後日書きます)。

などなど、自分で決めたコンセプトではあるのですが、そのしばりに合致せず、ボツになっていく授業アイデアが続出します。

そして、結果としてこの作業は校正ぎりぎりまで続くことになるのでした。

最終的に、50本の授業プランを載せたのですが、30本以上不採用になったものもあります。

 

授業実践本のタイトルについて

この段階では、まだ本のタイトルは決まっていませんでした。

編集者さんからは、何かいいタイトルを考えておいてくださいね、とは言われていたのですが、なかなかそれが難しく。

 

ちなみに最初に企画書を書いた段階で、自分の考えた仮タイトルが「急場をしのぐ授業案」という意味をこめた「しのぎ案」でした。

編集者さんから、さすがにこれはちょっと…ということですぐに却下されましたが。

 

授業実践本のタイトルって、ストレートな名前が多いような気がします。

「子どもがどんどん自分から発言するようになる! 中学国語 授業アイデア50」のような(これはいま私が適当に考えたものです)。

実際に、編集者さんからもこれに近いようなタイトル案を提案されました。

 

余談ですが、なぜタイトルが長くなる傾向にあるのか、編集者さんからその理由を聞いたことがあります。

原因は、ネット販売が広まったからです。

Amazonなどで表紙の画像を見て買うかどうかを決める人が多いため、表紙やタイトルになるべくいろんな情報を盛り込むようになっていったそうです。

授業実践本は、校種や教科によって買う人が限定されます。

その人たちの手がちゃんと動くように、「中学」「国語」と載せる必要があるとのことでした。

 

本のタイトルを決める

ただ、自分としてはもっとキャッチーな名前にできないかなと考えていました。

「1時間で完結する」「準備が不要」「誰でも実践できる」授業という、大げさに言えば新しいカテゴリーに名前をつけるようなことはできないかなと、いろいろ思いめぐらせていました。

 

そんな中、前任校で仲良くしてもらっていた1つ上の先輩と飲む機会がありました。

その先生は日本史が専門です。

「今こんなことやってるんです」「何かいいタイトルないですかね~」なんて話してみたところ、

「『ラクイチ』なんてどう? 楽に1時間でできる授業だし」というアイデアをいただきました。

楽市楽座からとったんですね。

もう最初に聞いたとき、ぴったりだと思いました。

「ちょっと『ラクイチ』の本貸して」とか「次の時間『ラクイチ』から何かやってみようかな」というように、職員室での使われ方まですぐに想像できました。

カテゴリー化としてもばっちりです。

「それいいですね!」と、自分の中ではもうそれしかないくらいに気に入りました。

 

その先生には、その後『中学社会 ラクイチ授業プラン』の執筆代表をお願いすることになります。

 

「指導案」にはしたくない

ラクイチ」の後をどうするか。

授業実践本といっても、いろいろなタイトルのつけ方があります。

指導案、授業案、実践事例集、授業アイデア

はじめから「指導案」にはしたくないなと思っていました。

研究紀要の場合などは指導案でも良いと思いますが、「指導」という言葉に教師主導の重たいイメージがつきまといます。

フォーマットづくりの時に意識したように、むしろ既存の指導案のフォーマットは避け、実践のハードルをなるべく下げることに気を配っています。

いろいろな組み合わせを試してみましたが、カタカナ中心の方が若手の先生に手に取ってもらいやすいかなと、「授業プラン」でいくことにしました。

 

ラクイチ授業プラン」タイトルの完成です!

 

実際には、この後編集者さんとのやり取りがもう少しあります。

編集者さんの希望としては、「中学国語 ラクイチ授業プラン」だけだと、どういう本かよく分からないから、もっと分かりやすいタイトルが良い、ということでした。

自分としては「ラクイチ」のネーミングを外したくなかったので、折衷案としてタイトルの前に文言を足すことにしました。

ラクに楽しく1時間」というフレーズです。

こういうふうにコンセプトを示しておけば、どういう本かも伝わるのではないかという狙いです。(音を7・5にして読んだときのリズムも意識しました)

 

最終的に、本のタイトルは「ラクに楽しく1時間 中学国語 ラクイチ授業プラン」に決まりました。

 

結果的に、このタイトルにして良かったと思っています。

発売後、知り合いの先生方から「『ラクイチ』読んだよ」とか、同僚からも「『ラクイチ』授業で使ってみました」とか、

編集者さんとのミーティングでも「次の『ラクイチ』どうしましょうか」のように、とっても使い勝手がいい名前です。

「しのぎ案」にしなくて良かった(笑)

タイトル一つにこだわる、いい経験になりました!

 

今週の名文(9)

たとえば「集団になじめないなら別室登校でも」という対応を、甘やかしと見る人もいるだろう。でも、寄り添うとは、あくまでも本人の意思を尊重し、自分で前に進んでいけるように見守ること。時間はかかるが、子どもの心がささくれず、しっとりしていくことにつたがる


西川孝治(大阪市立市岡中学校長)さんの言葉。子どもの心がしっとりする、っていう表現いいなあ。朝日新聞6月28日より。





「やさしい日本語」の本質は、いかに分かりやすく伝えられるか。それは本来、外国人や子ども向けに限らない話だ。コツが三つあるという。①文章を短くする、②伝えたいことを最初に言う、③書き換えたものを客観視する。特に、英語などのシンプルな構文に書き換えられるかを考えると効果的だという。「心がけ次第で、誰でもできる。外国ルーツの子どもが増えるなか、とくに学校の先生には、ぜひトレーニングしてほしい」


NHKニュースを「やさしい日本語」に直す山屋頼子さんの記事。6月29日朝日新聞。この三つのコツは、生徒にぜひ身につけてほしいスキルだ。



プロデューサーのゲイル・ハードと僕は、二つのレベルでうまくいく映画をつくろうと決めたんだ。まずは、12歳の子が、こんなイケてる映画見たことないって思うような、結末めざしてまっしぐらのアクション映画として。そして、スタンフォード45歳の英文学教授には、ある種の社会的政治的(ソリオポリティカル)な意味合いが隠されていると思ってもらえるようなSF映画として。


戸田山和久『教養の書』で引用されていた、ジェームズ・キャメロンの言葉。この2種類の読み方をどう楽しめるか、授業でもそこが探究のしどころになる。



小説として人物を描写するということを星さんは全然してらっしゃらないので、そのせいでなかなか評価されにくかったような気がします。エヌ氏とエフ博士のどこがちがうのか全然わからないし、どんな人なのかもわからない。「人物」ら全然書いてらっしゃらない。でも、根本的に「人間」を書いた作家だと思います。顔のある、個性のある人物は書いていないけれども、人間を代表する人間を書いている。だから、イソップ物語が古くならないのと同じように古くならないんだと思います。


◯昔買った文芸誌の星新一特集で、新井素子さんが語っていた言葉。

星新一ショートショートはたまに授業で使うけれど、ほんと生徒の反応がいい。


【読書】『西洋美術史入門』国語の授業でも使えるアイデア

先日の筑摩書房のセールで買った本を次々読んでいるわけですが、

池上英洋『西洋美術史入門』(ちくまプリマ―新書)も、生徒に進めたくなる一冊でした。

西洋美術史入門 (ちくまプリマー新書)

西洋美術史入門 (ちくまプリマー新書)

 

 

 

私も作品についての知識はいくらかもっていますが、

その作品がなぜ価値があるのか、またどのような社会的文脈のもとに描かれたのか、とったところまではよくわかっていませんでした(『教養の書』でいう「クイズ的な知識」止まり)。

この本では、作品の鑑賞方法だけにとどまらず、美術史の中での位置づけや、社会のニーズがどこにあったのか、といった観点から作品を読み解きます。

そのため、より広い視点から美術をとらえることができます。

 

例えばミレーの〈落穂拾い〉について。

この絵の主題は、のどかな農村風景にあるのではなく、広大な農地を管理する大地主と、集め洩らした穂を拾う貧しい農民の階級差である、

そして当時「貧しい貧困層」の主題が求められたのは、富裕層が慈善行為をアピールする目的があった(死後の救済につながる)、

とかいう説明を読むと、自分がいかに近代以降の、作品は作者の自己表現で、絵の鑑賞は趣味で行うものだ、という価値観で見ているのかがよく分かります。

 

この本では、絵の「読み方」がいろいろ登場します。

本書の最初に紹介される絵の読み解きの基本は、国語の授業でやっても面白いなと思いました。

 

一つは「スケッチ・スキル」

ある作品をみながら、それをノートにスケッチする活動で、絵を見て短時間で小さな略図に直す活動だそうです。

そして、特徴的な色づかいやモチーフなど、気づいたことを情報として言語化して書き込んでいきます。

国際バカロレア(IB)の課題では、広告ポスターや写真の分析などを行うことがあります。

また、視覚教材は国語の授業でもこれからもっと使われるようになってくるでしょう。

視覚教材の分析の前段階として、この「スケッチ・スキル」を取り入れた活動は試してみたいなと思いました。

 

もう一つは「ディスクリプション・スキル」

「視覚情報を言語情報に変換すること」です。

生徒は二人組になり、片方は机に頭を伏せておく。

片方の生徒にモニターで図を見せる。

図を見た生徒は、文章だけでその図を説明する。

文章が書けたら、ペアの生徒に見せて、文章から図を再現してもらう。

という課題。

図を変えたり、何度かトライしていくことで、徐々に上達していくのだそうです。

 

これらは美術作品を「読む」ための基礎的なトレーニングなのだそうですが、国語の授業にも共通するところがありますね。

ゲーム感覚で取り入れてみたいと思いました。

 

【読書】『教養の書』高校生に読んでほしい!

 今日紹介するのは、戸田山和久『教養の書』(筑摩書房)です。

教養の書

教養の書

 

 

同じ著者の『論文の教室』は、論文作成の意義や方法についてユーモアを交えてかみ砕いて説明してくれているので、よく生徒に紹介したり、授業で使ったりしていました。

 

この『教養の書』は、中高生(や大学生)を対象に、「教養」とは何か、なぜ教養を身に着ける必要があるのか、などを説明しようという本です。

そう書くとずいぶん堅苦しくなりますが、本文はまったくそんなことはありません。

くだけた文体と、豊富な具体例(脱線?)で、すいすい読み進めることができます。

 

で、肝心の中身はといえば、これがまた自分が授業で高校生に伝えたいなと思っていることばかりが書いてあるんですね。

なぜ教養を身に着ける必要があるのか、という問い以外にも、

大学で学ぶ意味とは何か、

書き言葉が思考にとっていかに大切か、

読書の意味は何か、

なぜ批判的思考が大切なのか、

など、

学校でいつも言っていることです。

読みながら、そうそう、その通り、とうなずくこと頻りでした。

 

例えば「作品を読む」ということについて、

筆者は映画『ダイハード3』を例に挙げながら、知識があることで作品をより深く理解したり、楽しんだりできると説明します。

それは、ストーリーに感動したり、ハラハラしたりするのとは違う楽しみ(こちらは12歳向けだという)。

作り手は密かに、もう一つの、45歳向けのレベルを仕掛けている。それは、発見する喜び、解釈する喜びからなる。その喜びを十分に味わうためには、その作品の外にあるものをたくさん知っていなくてはならない。

文学作品の読解や、分析批評で生徒に要求しているのもまさにこれですよね。

 

また、知識を身に着けるにしても、単語や年号を丸暗記していくだけでなく(クイズ的知識)、それがどういう意味をもつのか、なぜ重要なのかもセットで理解されている必要があるといいます。

教養のためには、知識が全体として構造化されていなければいけない。まず、カテゴリーに分類され、それぞれに重要度が割り振られている必要がある。(略)

 その上で、カテゴリーと重要度を飛び越えて知識と知識が結びつき、ネットワークになっていること(関係性)が必要だ。ここでは「そういえば」がキーワードになる。

 「構成主義」という言葉こそ使っていませんが、まさにそういうことだと思います。

国際バカロレア(IB)のワークショップに参加すると、最初によくこういう話が出てきました。

これまでの学校は、えてして「クイズ的」な試験が多く、生徒もそれに向けて丸暗記中心の学習を行います。

そういう勉強には、知識の重要度に対する判断がありません。

また、そういう知識って、使わないとどんどん忘れていくんですよね。

わが身を振り返ってみても、学生時代はそういう勉強しかしてこなかったなぁ…と情けなくなります。

こういう、知識をひもづけていくような学び方ができれば、その子は伸びるだろうなと期待できますね。

(こっちは、生徒がそういう学びができるように、カリキュラムや単元を工夫せねば!)

 

そうそう、どこでこの本を知ったかというと、

ある生徒(高校1年生)が「先生、この前読んだこの本面白かったですよ。これを読んで大学で勉強したくなりました」と言って紹介してくれたからなんです。

この本を自分で見つけて、読んで面白がって、さらに先生に紹介するって…もうその生徒には教えることはないなと(笑)

 

「概念」を使った読書感想文の指導法

先日は、国際バカロレア(IB)の課題で分析批評を行っている、という話でした。

具体的に、どう段階的な指導をしていくのか紹介していきます。

IB校でなくても、いろいろと活用できるところがあると思います。

 

私の学校は中高一貫校です。

IBのプログラムとしては、中学1年生~高校1年生までの4年間がMYP(中等教育プログラム)、高校2、3年生がDP(ディプロマプログラム)と呼ばれます。

 

まずは本文の読解を行う

とくに中学生の初めのうちは、正確な本文読解ができていません。

また、語彙を理解していないこともあります。

基本的には、教科書に掲載されている作品を使いながら(一条校なので教科書も使っています)、正確に本文の内容がつかめているかどうか確認します。

この辺りは、多くの学校と何ら変わりません。

 

概念キーワードを渡す

中学生にいきなり分析批評をやろう、といってもぴんときません。

そのため、まずは「概念キーワード」を渡すようにしています。

といっても難しいものではなく、「登場人物」「テーマ」「設定」「文体」など、分析をする上での「観点」のようなものです。

これらを生徒に示しながら、作品のストーリーだけでなく、細部に注目するよう促します。

生徒は各自で取り組みたい「観点」を決め、それを念頭において作品を読みなおし、問いを立てたり、特徴を指摘していきます。

こうすることで、授業中に同じ作品を扱っていても、まったく異なる作文が提出されるようになります。

オツベルと象」のテーマは何か、「オツベルと象」にはどのような人物が登場するか、「オツベルと象」から読み取れる宮沢賢治の文体の特徴について、という具合です。

 

同じような課題を作品を変えて繰り返す

分析批評は、いきなりできるわけではありません。

そのため、同じような取り組みを何度も行います。もちろん、扱う作品を変えながら。

学年ごとの教科書教材を使うこともありますし、中学1年生の時には宮沢賢治芥川龍之介、中学2年生では太宰治、など取り上げる作家を変えていくこともあります。

また、目安となる作文の字数も徐々に増やしていきます。

始めは原稿用紙1、2枚から。

少しずつ増やしていって、高校1年生のころには5枚程度、構成のある論理的な文章を書けるようになろう、というのが今の私の学校の目標です。

 

課題を少しずつ複雑にしていく

最初のうちは、なるべく問いや作品を限定し、多くの生徒が取り組みやすくなるよう配慮します。

例えば、

「なぜ「ぼく」はちょうをつぶしたのか」

「「ぼく」と「エーミール」の関係はどう変化したのか」(テクスト『少年の日の思い出』)

などです。

次に、問いの抽象度を上げて書かせるようにします。

「登場人物の関係性はどのように変化したか、自分が選んだ作品をもとに論じなさい」

というような課題の出し方です。

学年が上がると、抽象的な問いについて、複数の作品をもとにして書く課題に取り組みます。

「登場人物に読者が共感できるようにするため、作者はどのような工夫をしているか、2つの作品を例に挙げて論じなさい」

といった具合です。

このように、少しずつ問いの抽象度を上げたり、批評する作品の幅を増やすことで、生徒の思考やライティングスキルを鍛えようとしています。

また、その都度書き方を教え、フィードバックを繰り返すことで、生徒もだんだんと書けるようになってきます。

ちなみに、DP(高校2年生以降)のカリキュラム、作品も文庫本一冊読むようになります。

先に挙げた課題も、複数の作品を丸ごと比較しながら(例えば『こころ』と『砂の女』など)論じていくことになります。

 

読書感想文にも応用可能

ということで、このような方法は読書感想文にも十分応用可能です。

読書感想文の課題に取り組む前に、分析の観点を学習し(登場人物、テーマ、作者の言葉の使い方、など)、どの観点で書くのかを決めておくだけでも焦点の絞られた文章になるでしょう。

何を書けばいいかわからない、という不満はずいぶん減るはずです。

抽象度の高い問いをいくつか用意していおいて、自分が選んだ作品について、その問いの中から一つ選んで解答する、というやり方も生徒の知的好奇心を刺激します。

抽象的な問いとは例えば、

「この作品のテーマは何か、またそれはどこから読み取れるか」

「作者はどのような表現の工夫をしているか」

「小説の構成はどのような効果を上げているか」

というような問いです。

それらを、自分が読んだ本をもとに考察するのです。

読書が苦ではない生徒に向けては、複数の作品を比較して論じる、という方法を教えると興味を持って取り組んでくれるかもしれません。

二つを比較して考えることで、それぞれの作品についてより深く理解することにもつながります。

 

ずっと同じような読書感想文では生徒は飽きてしまいます。

こんな方法もあるよ、こんな書き方もできるよ、といろいろな手を紹介しながら、

少しでも本を読んで考えることの面白さを体感してほしいなと思います。

 

読書感想文とIBの分析批評を比較してみた

Twitterで読書感想文のことが話題になっていますね。

それに関連させて、普段私が受け持っている国際バカロレア(IB)のコースでは、どのような作文指導を行っているか、紹介したいと思います。

(※あくまで私の学校の一例です。すべてのIB校が同じように取り組んでいるわけではありません。)

 

読書感想文ではなく、分析批評を書く

 

そもそも、読書感想文を課題にすることがありません。

近い課題としては、分析批評があります。

文学作品を読み、内容や書かれ方について分析し、その分析した内容をもとに批評を書く、というものです。

「小論文」や「コメンタリー」と呼ばれる課題です。

 読む作品については、授業内で扱った1つの作品について全員が書くときもありますし、生徒が各自で好きな作品を選んで書くときもあります。

作品のジャンルは小説が多いですが、詩や古典作品も使います。

また、テーマや問いについても、教師が提示したり、生徒が各自で設定したりと、学年や単元によって異なります。

 

評価の対象になる

読書感想文の場合、なぜ書く必要があるのか、という点でしばしば議論になります。

一つの目標として、コンテストに応募する、というものがあります(校内コンクールも同様)。

夏休みの宿題として読書感想文があり、夏休み明けにコンテストに応募する、というパターンが多いのではないでしょうか。

また、それを見越して、多くのコンテストが秋ごろの締め切りになっているようです。

コンテストで表彰されて成功体験になる、という一部の生徒はいるでしょうが、多くの生徒にとっては、自分の作文がどう評価されたのか、どう読まれたのかを知る機会はほとんどありません。

また、それがどう成績に反映されているのかもあいまいです。

 

一方、IBの分析批評の場合は、コンテストに出すことはしませんが、校内で評価し、年間の成績に反映します。

というのも、IBの定める評価基準の中に「分析」という項目があり、文学作品に代表されるテクスト分析を行う課題をやることが必須なのです。

担当教員は、提出された作文をルーブリックをもとに評価し、一人一人にコメントをつけるなどしてフィードバックします。

そうすることで、自分の分析批評がどの程度のレベルであったのかを、生徒は客観的に知ることになります。

 

書き方の指導をする

読書感想文の場合、あまり書き方の指導に時間が割かれません。

1学期の授業時間にそんな余裕がない、ということもあるでしょうし、そもそも読書感想文が何を目的とした文章なのかはっきりとしない、ということも原因でしょう(目的がはっきりしないので、書き方も教えられない)。

その結果、夏休み直前に、課題図書一覧やオススメ読書リストが配られ、ろくに書き方も習わないまま、いきなり原稿用紙〇枚、という量を書かされることになります。

真面目な生徒はそれでもやってくるでしょうが、多くの生徒はこれではやる気があがりませんよね。

(すみません、ちょっと悪く書きすぎています。かつての自分がまさにこのような丸投げ型の課題を出していたもので、反省しつつ書いています…。)

 

少し話はそれますが、なぜこのようなことになるのか。

読書感想文の目的が「夏休みの間に本を読む」ということにあって、ライティングのスキルを伸ばすことを目的にしていないからではないでしょうか。

とにかく「本を読む」ということが目的化していて、「どのように読むのか」という読む手法までの指導ができていない、ましては「どのように書くのか」というところまで手が届かない…

その結果としての「丸投げ」であるように思えます。

読書感想文は「読んだことの証拠」としてのみ扱われる、なんてこともありそうです。

 

文学批評の場合、いきなり書け、と言っても不可能です。

文学作品の分析の仕方、問いの立て方、意見の述べ方、論理的な文章の書き方、根拠の挙げ方など、様々なことを生徒に教えていく必要があります。

「どのように読むのか」「どのように書くのか」といったところを授業内で十分に指導するわけです。

もちろんその前提として、なぜ文学作品を読むのか、なぜ批評を書く必要があるのか、ということも機会があるごとに説明していきます。

成績に含める課題を出す前に「形成的評価」として一度書いてみて、フィードバックする、ということもやります。

このような準備段階を経て、ようやく「さぁ自分で書いてみよう」という課題が出せるのです。

 

 

これだけいろいろ教師はやりますが、それでも全員がすんなりと書けるようにはなりません。

また別の単元で、次の学年で、などと作品やテーマを変えつつ、同じような課題に何度も取り組みます。

その繰り返しがあるからこそ、生徒の作文のスキルも少しずつ上達し、読み方と書き方がともに身についてくるのだろうと思います。

 

 

今回は、読書感想文とIBの分析批評を比較してみました。

こういった観点で取り組めば、読書感想文の課題ももっと面白くなりそうです。

次回はより具体的に、どういう指導をしていくのかまとめてみたいと思います。