Senobi

私立の中高一貫校で国語を教えています。国際バカロレア、子どものための哲学、ワークショップ型の授業づくりに関心があります。

オンライン哲学対話をやってみた

今日のオンライン授業、前半に小論文のフィードバックをした後、後半は自由に話し合う時間をとりました。

 
生徒たちの話を聞いていると、時間割がぎちぎちに埋まっていて休み時間が短い、昼食時や授業が終わればGoogle Meetから離れるので友達と話さない、という状況だそうで、
休み時間や放課後のような時間が失われていると感じていました。
疲労もたまっているようです。
そこで、ちょっと休憩して、気軽におしゃべりする時間を作りたくなりました。
 
そういう目的ですので、はっきりしたテーマを決めず、話したいことを話すような時間になりました。
 
これだけ長いことオンライン授業続いているけどどうなの?という話題をふってみると、はやく学校に行きたいという意見がある一方で、自分はこのままの方がいいという意見の人もいて、クラスで分かれました。
話し合いなどはオンラインでもいいけど、数学はオンラインだとさっぱり頭に入らない、といった当事者ならではの意見もありました。
 
こちらとしては、少しでも話すハードルを下げるため、マイクを全員オンにしてもらい、話したいタイミングでどうぞと促しました。
他の先生の記事にもありましたが、少しくらいノイズがあった方がいいかなと思います。
 
授業ではカメラのオンオフは自由にしているので、その流れのままやりました。
しかし、カメラがオフのまま発言もないと、対話中どんなふうに聞いているのかが全く分からず、結果としてその生徒はいなくても同じことになってしまいます。
授業であれば、サークルになっていたり、黙っていたとしても、今考えているな、とか、眠そうだな、とか分かるのですが。
強制でカメラをオンにするのも違う気がするので、この点は難しいです。
 
とはいえ、だんだん話も盛り上がってきて、あの先生の宿題量が多すぎるといった不満、課題をどうやればいいかの相談、家でどんな勉強をしているか、どんなふうに過ごしているかという話も出ました。
 
やっぱり、こういうなんてことない話をする時間が足りていないなぁ、と思います。
オンラインでは、こういう話が自然発生的に起こることはまずないので、仕組みを設計する側、教員の方がここまで気を配る必要があるのでしょう。
ただ、最初からこのような時間をオンラインのカリキュラムに組み込むほど、なんてことない対話やおしゃべりに価値を置いている教員がそれほど多くないのも事実。ですから、見落とされがちです。
私にできるのは、ちょっとしたガス抜きくらいです。
 
週末は、希望者だけでオンライン哲学対話をやってみる予定です。
何人くらい集まるかなー。