読書アプリを比べてみた
いろいろと本を読んでいても、読んだ本の内容をすぐに忘れてしまいます。
(ですから、生徒からの「オススメの本を教えてください」という質問にいつも上手く返せません。面白かった本がぱっと思い出せない!)
我ながら情けなくなるのですが、そのため、読書記録が欠かせません。
みなさんはどんな読書アプリを使っていますか?
以前はscrapboxに読書記録をつけていた時期もあったのですが、毎回PCを立ち上げることもしないため、次第に下火になりました。
やはりスマホのアプリかなと思っていろいろ試してみたのですが、どれも一長一短。
今日は、個人的な読書アプリの比較をしてみたいと思います。
自分として外せない機能は2つあります。
①カテゴリー分けができること
小説、新書、国語、教育書など、目的別で分けて管理したいです。
②自分で評価ができること。
☆5つ、のように面白かった本がすぐに思い出せるようにしたい。
ブクログ
これはある程度使ってみました。
入力した本が、本棚にキレイに並ぶのは見ていて楽しいです。
☆の数での評価も見やすい。
ただ、カテゴリーの絞り込みや、感想やコメントを書く際に、ちょっと操作が面倒なところがあります。
カテゴリー別で表示しようと思ったら、「絞込」→「カテゴリ」→「小説」→「この条件で絞り込む」のように何度もタップしなければなりません。
カテゴリを変える時も同じ操作です。
公開用の感想と、自分用の読書メモが別だったり、書いた情報の編集をするのにも、他のアプリに比べてひと手間多くかかります。
そういうタップの操作がだんだん煩わしくなってきて、あまり更新しなくなりました。
SNSのように使いたい人、マメに書き込む人向けかなと思います。
Readee
「本棚」でカテゴリーを作れたり、階層化できたりと、使いやすいと思います。
このアプリの一番残念なところは、本の評価の部分です。
「MY評価」というところで、☆での評価ができるのですが、ワンタップで☆3つ、とかいうのではなく、スワイプで小数第一位まで入れられる、実質50段階評価になっています。
ちょうど3.0にしようと思ったら、微妙な指の加減が必要です。
ちょっとずれるとすぐ3.1になったり2.9になったりして、いらいらします。
別に気にしなければ良いのですが、性格的にこういうところをきっちり揃えたくなってしまうのです。
細かく評価したいという人もいるでしょうから、そこは好みの問題ですが、ここだけ、自分には使い勝手が悪かったです。
読書メーター
本棚でカテゴリー分けができ、その点はクリア。
ただ、本の評価をする項目がなかったり、自分用のメモを残しづらい(感想が公開される?)点で、自分の使い方と合わないかなと思いました。
操作が重いのも気になりました。(待つ間にキャラが走るのはかわいいけど)
ビブリア
操作がシンプルで使いやすいアプリだと思います。
「本棚」と「読みたい」に大別されています。
「本棚」の方で、カテゴリー分けができないのが残念。
また、☆での評価はあるのですが、それがトップ画面に表示されないのが惜しいところ。(評価順の並べ替えはできる)
というわけで、「本棚」の方は使わず、「読みたい」の方だけ使って、読みたい本リストをこのアプリで管理しています。
あと、ビブリアには、タイトルや著者だけでなく自分で書いたメモからも検索できるという、他のアプリにない強みがあります。
結果的に…
いろいろ試してみましたが、どれもいま一つ。
というわけで、自分が読書管理に使っている「記録」というアプリを最後に紹介します。
見ていただくと分かるのですが、その名の通り「記録」に特化したメモアプリです。
余計な機能がなくシンプル、そのため操作もスムーズです。
トップ画面では、自分の設定したカテゴリーに加え「全部」というフォルダがあります。
これで、カテゴリー内からでも、全体からでも検索が可能です。(自分の書いたメモも検索対象です!)
自分でつけた☆の評価も最初の画面に表示されています。
自分が望んでいた機能が、2つとも満たされました。
ちなみに、Amazonと連動して書誌情報を載せるとか、そういう機能は一切ついていません。潔いアプリです。
タイトル、日付、評価、メモなどの枠はありますが、自分で入力します。
画像を載せたかったら、カメラで書影を撮る必要があります。
その時の気分によって、タイトルと評価だけでもいいし、書きたくなったら詳しいメモを作ったり、画像を載せたり、そういう自由さがあります。
手書きのノートに近い感覚ですね。
こういう方が、自分の性には合っているのかな。
まだ使い始めて2週間ほどなのですが、しばらくはこれで読書記録をつけていきたいと思います。
本がつなぐ縁、広野先生のこと~『ラクイチ授業プラン』ができるまで⑩
授業実践本『ラクイチ授業プラン』を作るにあたり、これまでに出版された類書を買い集め、研究をしました。
そんな中、Amazonですごい本を見つけました。
広野昭甫『学習意欲を高める ことば遊びの指導』(教育出版、1982年)です。
著者の広野先生は、長年中学校で国語を教えてこられた先生です。
この本には、先生が作ってこられた教材、授業アイデアがたくさん詰まっています。
目次から適当に拾ってみても、
画数迷路、漢字のしりとり、誤字探しクイズ、四字熟語宝探し、ことわざのパロディー、数詞かるた、品詞パズル・・・、盛りだくさんです。
そしてどれも面白い。
どの教材を見ても、中学生が楽しみならが言葉を身に着けていってほしいという、広野先生の思いが伝わってきます。
「自分が『ラクイチ』でやりたかったことはこれだ! それがもう30年も前に出版されている!」と、感銘を受けました。
ちなみに、続編も出ています。
ぜひ広野先生のご実践を本に載せたいと思い、出版社を通して連絡をとっていただきました。
そして、掲載の許諾をいただくため、直接お電話を差し上げることになりました。
先生の本に感銘を受けたこと、これから本を作ろうとしていること、本のコンセプトなど、緊張してまとまりのない話をしてしまいましたが、
突然のお願いにもかかわらず先生は、「国語教育のためになるなら、ぜひお使いください」と快諾してくださいました。
『ラクイチ授業プラン』の中では、広野先生のご実践をもとにして、「助詞の世界」(キーワードを決め、いろんな助詞を使いながら文を作る)、「品詞がヒント」(品詞ごとにヒントを出して、キーワードを当てるゲーム)の2本を掲載しています。
以下、後日談です。
本が完成した後、広野先生のところへ完成のご報告とご挨拶にうかがいました。
ご高齢ということもあり、その時は入院なさっていたのですが、話しに来てくれて構わないということでしたので、お言葉に甘えました(どうしても直接お会いしたかったのです)。
完成した本を見ていただき、また、どのようにしてあの膨大な実践を生み出したのか、などについてもお話をうかがうことができました。
「好きだからですよ」と先生は事もなげにおっしゃいます。
言葉が好きで、生徒には楽しく学んでほしい、その思いでずっとやってきただけだ、と。
隣にいた奥様も「家でもずっとこんなことばかりやっているんですよ」と笑っていらっしゃいました。
聞けば、病室でも看護師さんの名前で折句を作ってはプレゼントしたりしているそうです。
そのお話を伺ったとき、先生は本当に言葉遊びが好きで、その情熱をずっと持ち続けていらっしゃるのだなぁと、いたく感動したのを覚えています。
今回の経験で、本として形にすることの意味をあらためて思いました。
本にして残すことで、何十年かあとにふと誰かの目にとまるかもしれない。そしてそれが次の世代の役にたつかもしれない。
これはインターネットではできないことです。
病院からの帰りしな、奥様から「若い人に自分の本を読んでもらって、本人も喜んでいました」と、逆に感謝をされてしまいました。
自分の作った本は何年かしたら埋もれてしまいますが、何十年かあとに誰かが偶然見つけてくれて、そのことで自分に連絡がきたらどれほどうれしいか。
帰り道、そんなことをぼんやり考えて楽しくなりました。
広野先生からいただいたサイン「ことば―この泉のごとき対象」
赤ちゃんの首がすわった…?
2週間くらい前に寝返りができるようになった我が子。
今日、うつぶせから自分で首を持ち上げられるようになりました!
(ちなみにまだうつぶせから自分で戻ることはできない)
ママパパの呼びかけに反応して、顔を上げて声のする方を見ます。
両手を突っ張って、必死な様相で。
これまで少しずつうつぶせ練習をしていたのですが、急にできるようになったものだからびっくりしました。
これは、首がすわったと思っていいんですよね…?
赤ちゃんの成長を見ていると、あぁこの瞬間は二度とないんだなぁと、時間の流れを意識せざるを得ません。
それくらいめまぐるしく変わっていく。
長いこと同じような仕事を繰り返していて、わすれかけていた感覚でもあります。
首を動かせるようになったのが楽しいのか、抱っこしていてもお風呂に入っても、あっちこっち向いて動くので大変。
目が離せません。
【読書】『先生は教えてくれない大学のトリセツ』ここにも論文指導のヒントが
先日読んだのは、こちらの本。
田中研之輔『先生は教えてくれない大学のトリセツ』(ちくまプリマ―新書)
これから大学生になろうという人だけでなく、高校生や、なんなら中学生にも知っておいてほしい内容がたくさんありました。
大学での学びとは何か
例えば、「大学での学びとは何か?」ということについて、筆者は次のように述べます。
学びとは自分が知りたいという欲求に正直に、好奇心を持ち続け、日頃の生活においても、考え、発展していくような構えのようなものです。学びは、生きていくことと密接に結びついた壮大なプロジェクトだとも言えます。(略)
「学びとは、生き方をデザインしていく行為」そのものなのです。学びは、吸収していく浸透力と、生み出していく創造力、自分だけではなく周りの人を引っ張っていく牽引力を伸ばしていきます。
今でこそよく分かりますが、このようなことは、自分が学生のときには考えてもいませんでしたね。
高校での受け身の勉強を引きずったまま、大学で「主体的に学ぶ」ということがよく分かっていなかったように思います。
そんな自分の反省もふまえつつ、今の教え子には、もっと早い時期からそういう学び方に気づき、自分を高めてほしいなと思いながら授業をしています。
ただ、「主体的に学ぶ」と言っても、具体的にどうすればいいのか、それを伝えるのは難しいものです。
本書は、そのためのヒントをいろいろ教えてくれます。
質問メモの作り方
例えば講義(授業)を聞いているとき、多くの学生(生徒)は先生の話や板書をそのままノートに取りますが、それだけでは受け身の勉強です。
私も自分の授業で、黒板を写すだけでなく疑問に思ったことや意見をメモしよう、などと呼びかけますが、なかなか実践が定着しません。
本書では、質問メモのポイントがまとめられていました。
・いつから起きている事柄なのか(時間の視点)
・どれくらいの規模で起きていることなのか(空間の視点)
・同じような事柄は、他の地域や、他の国でも起きていることなのか(比較の視点)
・その事柄は、いかなるインパクトをあたえているのか(影響の視点)
・その事柄に関わっている関係者は誰か(アクターの視点)
・その事柄にはいかなる組織が関わっているのか(組織の視点)
・その事柄が問題であるならば、どのような解決方法が考えられるのか(解決の視点)
・その事柄に対して、あなたはそう向き合うのか(自分事として捉える視点)
なるほど、ただメモを取れというだけでなく、このように具体的な問いとして示すと、取り組みやすくなりそうです。
『14歳からの読解力教室』に載っていた、方略を明確に示す、という手法と同じですね。
また、このような視点をずらす考え方は『教養の書』での推奨されていました。
こんなふうに、学びながら疑問を立てたり、発想を広げられるようになると、どんどん学びが自分事になっていくのだろうと期待できます。
論文の書く際のヒント
もう一つ参考になったのが、論文の書き方についてです。
まず、問いの立て方について。
問いは、日常生活を過ごすなかで感じた「なぜ?」に注目するところから始めます。
ここまでは、私もよくやりますが、面白かったのは次の視点で、
筆者は、「自分が関わっている集団のなぜ?」と「自分が関わっていない集団のなぜ?」を区別して説明します。
たとえば、自分の所属しているサークルの飲み会でコールがあったとき「なぜサークルでコールをするのか」という問いを立てると、それは「自分が関わっている集団のなぜ?」です。
このように、自分が関わっている集団の当たりまえを疑う方が、関わっていない集団のなぜ?を問うより難しいといいます。
たしかにそうですね。メタ的な視点が必要になります。
高校生に論文指導をする際、問いを立てるためのワークショップで、「自分が関わっている集団のなぜ?を探そう」「自分が関わっていない集団のなぜ?を探そう」というのをやってみたくなりました。
他にも、問いを一度キーワード化して、よりよいテーマを考えるという手法も紹介されていました。
本書では、「アルバイトや従業員が楽しそうに働くのはなぜか?」という最初の問いから、「雇用、職場、労働、インターナルマーケティング、サービス産業」といったキーワードに置き換えていき、最終的に「サービス産業におけるインターナルマーケティングの実態と課題」というテーマの論文になった例が紹介されています。
論文やレポートの課題をやらせていても、そもそも最初の問いで焦点が絞り切れていないために、どう進めてよいかわからなくなる生徒は大勢います。
これまでも、問いを変えてみたら?とか、もっと絞ったら?などとアドバイスをしていたのですが、キーワードに変換するワークをやってみると、生徒が自分で突破口を見つけられるかもしれませんね。
さくさく読める本ですが、有益なヒントをたくさんいただくことができました。
今週の名文(11)
パロディは、人々が権力に向き合うときに手にできる小さいけれど、強力な「武器」になり得るものです。武器を自ら捨ててはいけない。
グレゴリー・スターのことば(7月14日朝日新聞より)
◯東京オリンピックのエンブレムと新型コロナウィルスを掛け合わせたデザインが炎上し、ニュースでも取り上げられた。彼はそれを表紙に使った会報の編集長だ。
(その後、協会が表紙デザインを取り下げ謝罪したことに抗議して辞任。)
記事内では、デザインを批評性のあるパロディー作品だと評価し、表現の自由のために争うこともせず自ら引いてしまう態度を批判する。
IBの授業では、風刺やパロディー作品も分析のためのテクストとして教材としてよく使うが、国語の授業で扱うことは少ない。
こういった線引きの難しい素材について議論したり、自分の考えをもつことで、国語の授業でも実社会とのつながりを作っていくことができるだろうと思う。
映画はとんでもない所からオリジナリティーが生まれるから面白いんだよ
◯どんな逆境でも、その中で、その制約を面白さに変えて作品を作る。(三谷幸喜も新作「大地」のインタビューで、同じことを話していた)
同じ記事で、
「アイデアが浮かんでしまったらもうやるしかない。『演劇は何だってできるんだ』という主人公の思いに応えたかった。『映画だって何だってできるんだ』って」とも語っている。
これもよく分かる。授業アイデア、思いついてしまったらとりあえずやるしかない。
殺されるッて分かったら? 馬鹿ァ、何時だ、それア。ーー今、殺されているんでねえか。小刻みによ。
『蟹工船』より
〇先日、教師の働き方改革についてのオンラインイベントに参加した。
「蟹工船」と重ねるのはどうかとも思うが、おかしいことをきちんとおかしいと言い続けるのは大事だ。
赤ちゃんへの声がけは大変
先日、妻から次の記事を教えてもらいました。
昨日紹介した『ことばの発達の謎を解く』とも関係する内容ですが、
生後まもなくの赤ちゃんにどのような声がけをしていくのかによって、言葉の発達に違いが出る、という記事です。
池谷裕二『パパは脳科学者』でも紹介されていましたが、赤ちゃんは高い音の方がよく認識できるそうです。
(パパが赤ちゃんに話しかけると、つい高い声になってしまうのは、その方が赤ちゃんの反応がいいから)
記事内では、ペアレンティーズ(マザリーズ、高いピッチで母音を強調し、簡単な意味のある文を話すこと)をどれだけ赤ちゃんに聞かせていたかによって、生後一年半で赤ちゃんの獲得した言葉に二倍もの差が出ることが紹介されています。
なので、記事では、赤ちゃんのうちからどれだけの量をどんなふうに話しかけるのかが大事だ、と結ばれます。
この重要性はよくわかるものの、いざ自分でやろうとするとなかなか難しい。
赤ちゃんは返事を返してくれないので、ずっと一人で話しかけている状態になります。
これがけっこうツライんですよね。
(妻には考えすぎだと言われますが)
母は、私を育てていたとき、夜に父が帰ってくると「やっと人間と話せる」とほっとした、そうです。
わかる気がします。
たしかに、日中赤ちゃんとずっと二人きりだと、いくらかわいいとは言えストレスがたまるだろうなと想像できます。
いまは二人で子育てしているので、赤ちゃんと二人きりで息が詰まるということはほとんどありません。
そういう意味でも、育休は必要だなあと思いました。
【読書】『ことばの発達の謎を解く』
今回紹介するのは、今井むつみさんの『ことばの発達の謎を解く』(ちくまプリマ―新書)です。
今井さんの本は何冊か読んでいますが、毎度面白いですね。
この本では、赤ちゃんがどのように言葉を獲得していくのか、その仕組みや理由を、実験結果などをふまえながら解説していきます。
読んでいくと、誰かに言いたくなるような話が満載でした。(私も、すぐ妻にしゃべりました笑)
例えば、
赤ちゃんはお腹にいるときからすでに母語のリズムやイントネーションを聞いていて、その結果、生まれてすぐの赤ちゃんでも母語と外国語の区別がつく、という話や、
なんでそれが分かるのかというと、おしゃぶりの強さで分かる(慣れ親しんだ日本語が聞こえてくると吸い方が強くなり、外国語になると弱くなる)、
みたいな話が次々紹介されます。
読みながら、つい「へぇ~」とか言いたくなります。
赤ちゃんは音の連なりを繰り返し聞くことで、徐々に意味のかたまりや単語を切り分けることができるようになる、という話も興味深かったです。
そしてそれは言語によって異なり、日本語の場合は、助詞や助動詞など、間に挟まる言葉を手掛かりに意味を切り分けていきます。英語であれば、アクセントが手掛かりになるそうです。
また、単語が分かってくるようになった後、その単語がものの名前をさすのか(名詞)、動作を表すのか(動詞)、性質や色を表すのか(形容詞など)、果たして赤ちゃんはどのようにそれらを理解していくのか、という内容も面白かったですね。
詳しくは本書を読んでいただきたいのですが、赤ちゃんは「使われ方」から判断していくのだそうです。
例えば、直後に「が(格助詞)」の音がくる頻度が多いと、それは目の前のもののことを言っている、とか、「~た、~ている」の音が続く場合は、今の動きと関連している、など、そういうことを「経験的に」理解していく。
その過程で、様々な言い間違いが起こります。
大人からすれば可愛い言い間違い(ときには詩人のように思えることも)ですが、それは赤ちゃんが自分の理解で言葉の働きを探っている、そのあらわれです。
本書では、なぜそういう言い間違いが生まれるのか、などにも言及されていて、そちらも読んでいて楽しめました。
こういう話を、文法の授業の時に生徒に紹介したら面白いだろうな、と思いました。
言葉の獲得に格助詞がいかに大切か、動詞は活用することが肝心で、形容詞は活用語尾の「〇〇い」によって支えられている…など、文法用語を用いて説明することの意義や必要性も伝わるのではなかろうかと。
それにしても、赤ちゃんが、何も分からないところから失敗を繰り返し、言葉を獲得していくプロセスは感動的です。
うちの子はまだ4カ月で「あー」とか「うー」しか言いませんが、親の言葉を聞きながら理解しようとしているのでしょうか。
これからどう言葉を使い始めていくのか、楽しみです。